池田はるみ『妣が国 大阪』(本阿弥書店 1997年)
大相撲名古屋場所が初日を迎えた。白鵬も引退し、近頃は絶対王者と言われる存在がいないようだが、それだけ、誰にでも優勝するチャンスがあるということだ。
相撲のことは詳しくはないけれど、それでも、王者と言ったとき、きらきらしきお歴々を挙げることができる。
北の湖、輪島、千代の富士、貴乃花、曙、朝青龍……。
私が相撲を見ていた時期は、生家で暮らしていた頃、とりわけ、祖父の存命中に限定されるので偏りはあるけれども、皆さん、強かった。小さなテレビの画面をはみ出す存在感があった。
ただ、あまり強いと憎まれる。判官贔屓である。強いのは良いことなのに、どうしても、小兵や、やや弱そうに見える方を応援したくなる気持ちが出てくるようだ。
「北の湖」は強かった。物心ついてのち、横綱と言えば北の湖だった。いつも堂々としていた。だが、その堂々っぷりがいささか不興を買ったのかもしれない。「憎らしいほど強い」などと言われていた。表情がぶすっとしていたせいもあるだろう。にこにこした顔は記憶にない。
掲出歌の独特なところは、顔ではなく、本当に憎いのは「尻」だと言っているところだ。相当な好角家だと思われる。
相撲とは、お尻を出して戦うものである。これは、競技としては相当に珍しいのではないか。言わば、相撲の特質とも言える部分である。
そして、鍛え具合は尻に表れる。筋肉の盛り上がり、締まり具合、艶。素早い立合いや、力強い踏ん張りのために、尻は重要な役割を果たすだろう。
そういう「尻」を、私たちは、取り組みの後にも見ることになる。勝ち星をあげ、悠々と去って行くとき、語らないその人の代わりに、尻が語るのである。強い「尻」の語る言葉が聞こえるのである。
だから、北の湖が憎ければ、その尻も憎くなってしまう。
が、「本当は」とあるので、公然と尻が憎いとは言えていない。確かに、世間話をするにせよ、誰にでも尻の話ができるわけではない。
それで、「憎らしい顔だつたわね」と顔の話で障りなくごまかす。だが、実は、一番憎いのは「尻」なのである。
「き、北の湖の」あたりの言い淀みは、隠している本心の告白である。勢いあまって、力が入りすぎてしまっている。
とは言え、憎らしい「尻」とは最大級の賛辞である。こんな尻を持っている人はいない。
それだけ強かったのだ。