海の家の裏に隠れてこっそりと入道雲に空気を入れる

松村 正直『駅へ』(ながらみ書房  2001年)

 

 夏と言えば入道雲。

 入道雲はとにかく大きい。そして、高さがある。大空を占得するように立ち上がっている。

 「入道雲」という名の謂われにはいろいろあるようだが、「入道」とはお坊さんのことだから、僧の丸い頭や法衣を着た姿、それが空にどーんとあるように感じられたのだろう。ダイダラ法師などに代表される巨人伝説とも関わろうか。とにかく、もくもくと成長する様子は生き物めいている。

 そもそも、「大入道」という妖怪がいる。文字通りの大きな入道で、全国各地にその伝承がある。ぬっと現れ、人間をにらんだり驚かせたりするのだが、その辺のイメージとも関わっていそうだ。入道雲が出れば、夕立がやってくる。さっきまで晴れていたのに、見る間に大粒の雨が激しく降る有様は、まるで神通力でも使われたかのようだ。雷さまとのつながりもありそうだし。そんな自然への畏怖が呼び寄せた名前なのではないか。

 

 さて、この歌で心惹かれるのは、裏でこっそりと雲に空気を入れているところだ。バックステージを覗き見る面白さがある。

 何のために? 夏らしさを演出するためだろう。

 やはり夏であるからには、入道雲は欲しい。海と砂浜と照りつける太陽と入道雲、これでこそ、夏が来たという感じがする。海を訪れたお客さんたちに夏を満喫してもらうために、スタッフは様々な気遣いをする。その一つが入道雲の準備なのである。おおっぴらにすると興ざめなので、「こっそりと」する。空気は、風船のように口で膨らませるのか、それとも自転車のタイヤ用の空気入れみたいなもので、しゃこしゃこと入れ込むのかはわからないが、入道雲は大きいので、しんどいことには違いない。しかし、がんばる、お客さんのために。本当に頭の下がることである。

 と、ここまで書いてきたが、実は、入道雲に関して二つの解釈がある。一つは、この雲が作り物であるという現実的な読み。小道具としてのビニール製の雲に、空気を入れているのである。仕事とは、実に多岐にわたるものだ。

 もう一つは、本物の雲を膨らませているという空想的な読みである。これは愉快だ。歌の中では自由自在、なんだってできる。空いっぱいに湧き上がらせるまでには相当に大変そうだけれど。

 

 ここで、本物を膨らませているとして、少しだけ嫌らしい読みもしてみたい。

 入道雲はにわか雨を呼ぶ。雨になれば、浜で泳いでいた人も、一時的に屋内に避難する。「海の家」に人が集まる。そうすると、自然、かき氷やいか焼き、焼きとうもろこしなどを食べようということになるだろう。つまり入道雲は、売上アップに直結する、経済活動活性化の呼び水の一つなのである。一番いいタイミングで膨らませることが、大きい利益を生むのだ。

 

 なーんて、やはり、あざとく読みたくはない歌である……。

 

 とは言え、晴れさせるために、ヨウ化銀をロケットで打ち上げ、ばら撒く時代。天気を操作する、作り出すことも、おとぎ話の世界のことではもうなくて。

 あるいは、本物の入道雲だと思っていたら、限りなく精緻なバーチャルリアリティ映像、それが海辺に張り付いている、なんてこともあるかもしれない。

 

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