焼きたてのチーズケーキが息をする鉄の型より外されるとき

/山本夏子『空を鳴らして』現代短歌社,2017年

チーズケーキが焼き上がり、ケーキをぐるりと囲んでいる鉄製の型が外される。その瞬間、チーズケーキが解放されて、まるで息をするように感じられた。

掲出歌の一首前には、「今すぐに食べないけれどなんとなく「焼きたて」の長い列へと並ぶ」が配されていて、チーズケーキは主体が自分で焼いたのではなく、販売店の店頭で目にしたもののようだ。大阪によくある〈りくろーおじさんの店〉のような販売店で、チーズケーキを作る様子が焼き上がりを待つ列から見え、たくさんのチーズケーキが焼かれている。そんな状況を想像する。

チーズケーキはドロドロの液体を型に流し込み、オーブンから出てくると固体になっている。オーブンから出てきた段階で、チーズケーキとしては完成品となっているのだけど、型を外してその全貌が明らかになる瞬間は気持ちが良いものだ。自分で焼くと難儀をしながら外すのだけど、お店のひとはすごい速度で次から次へと型を外してゆく。見ていて気持ちがいい。
型が外れる瞬間に、チーズケーキは見たことのある美味しそうな姿に切り替わる。誕生のようなイメージも湧くし、解放のような印象も受ける。いずれにしても、型を外した瞬間にふんわりとふくらむ感じもあって、「息をする」という擬人めいた表現はその状況にぴったりだと思う。

一首は倒置になっていて、上句でやや唐突にチーズケーキの呼吸が提示される。下句で一首の状況が明示され、呼吸が比喩であることが理解できるのだけれど、「とき」という結語によって、チーズケーキの呼吸は鉄枠を外した瞬間に限定される。少なくとも、鉄枠を外す前の段階ではチーズケーキは呼吸をしていない。

鉄の型から外され、呼吸ができたチーズケーキ。逆に言えば、型から外されなければチーズケーキは呼吸ができない。一首には、どこか鉄枠から開放されて息をすることがでたチーズケーキへの心寄せがあるように感じられる。もしかしたらそこには、主体と重なる部分があるのかも知れない。

現実にはさまざまな「鉄の型」がある。それは、仕事であるかも知れないし、家庭であるかもしれない。その「鉄の型」は、チーズケーキをチーズケーキたらしめるように、主体を主体たらしめているだろう。それでも、あらゆるものから解放されて深く息をする瞬間を希求する思いのようなものが、一首の奥に存在するような気がするのだ。

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