秋の字の書き順ちがふちがひつつ同じ字となる秋をふたりは

荻原 裕幸『リリカル・アンドロイド』(書肆侃侃房  2020年)

 

 小学生の時、漢字の書き順を勉強した。マスに十字の補助線のついたジャポニカ学習帳に書いたり、指を上げて空中になぞり書きをしたり。今も小学校の低学年で習うことになっている。

 字形を整えるためには、どこから書いてもいいというわけではないだろう。また、字を覚える上でも筆順は大切だ。一つ一つ、アトランダムな、あるいはオリジナルの筆順であるよりは、それなりの法則に沿った方が覚えやすい。何しろ、漢字はたくさんあるのだから。

 先人達から受け継がれてきた合理的なシステム。

 左から右へ、上から下へ。大方はその大原則に沿っている。

 

 とは言え、年代によって筆順が異なって認識されているものもある。例えば、私は「長」という字を一番上の横棒から書くと習ったけれど、今は縦棒を一画目とするようだ。「上」、「右」、「感」……どこから書き始めるだろうか?

 だが、それは筆順が変わったというよりは、文部省から出された「筆順指導の手引き」(1958年)という本に沿って統一されてきたからのようである。けれど、これもあくまで目安であるので、この本が出る以前に字を覚えた人、から習った人、から習った人……と受け継がれていく中で、いつしか変化してきたのだろう。

 

 さて、「秋」という字である。一緒にいる「ふたり」だが、書き順は異なる。

 「偏」の方だろうか。のぎへんの「ノ」から書くパターン。あるいは、「木」から書いて、最後に「ノ」を付けるパターン? これは珍しいけれど。

 それとも、「旁」の方だろうか。「火」の左上の点から書くのか、それとも、「人」を先に書くのか。

 実は、「秋」という字は、草書では筆順が違う。のぎへんの「ノ」のはらいの後に、すぐ「木」の縦棒に続くのだ。書き順の異なりには、このようなことの影響もあるのかもしれない。

 

 書き順の違うふたり。でも、最後には、「秋」という字になる。過程  考え方ややり方は違っても、最後に同じところに行き着ければいい。そんなふくらみ、ゆるやかさの中にふたりはあるのだ。

 これは、「秋」という字だからいいのだろう。少し肌寒くなってきて、寄り添いたくなるような季節。ふと自分たちの在り方を考えてみたくなる季節。秋の字の中の「火」がもたらす温もりのかたわらで。

 

 「書き順ちがふ」と一度明言し、でも、「ちがひつつ同じ」と言い換えてゆくたわみ、根気強さ。この「つつ」の作用は大きい。そんなしなやかさの中に秋はあり、ふたりはいる。

 語順は屈折しながら「ふたりは」に行き着くつくり。これは「ふたり」の歌なのだ。

 

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