百貨店屋上にある「楽園」の錆は銀河の水の滴り

小林幹也『裸子植物』砂子屋書房,2001年

かつて百貨店の屋上には遊戯施設があった。時代によってその賑わいには落差があり、全盛期には多くの客で賑わっていたようだが、私の幼い頃の淡い記憶ではレトロな遊具が揺れているような印象だけが残っている。今では、ビアガーデンやバーベキューをするような屋上施設が増えて、ミニチュア遊園地のような場所はずいぶんと減ったようだ。どことなく屋上の遊戯施設からは昭和のにおいがする。

掲出歌の「楽園」が遊戯施設かはわからないけど、「錆」との取り合わせによって、年季の入った遊戯施設を想起する。錆は具体物では無くて「楽園」に付されている。看板やベンチ、硬貨を入れると数分間揺れる遊具、フェンスや売店、屋上にあるあらゆる鉄が錆ているような印象を受ける。それらは何度も塗り直されているが、それでも経年劣化にはあらがうことができずに錆が浮き、昭和の気配がより一層濃厚に漂う。「楽園」という名前がもの悲しく響く。

そんな錆は「銀河の水の滴り」として巨視的な把握を伴って提示される。錆の原因は、雨や雪、夜露などの水気だろうが、「銀河の水の滴り」という把握はそんな実態を詩的に昇華する。
この表現によって一首は空間的な広がりを持つ。百貨店の屋上という限定はいくぶんか薄れ、広い世界の一部として再認識される。
同時に時間の流れもいくらか曖昧なものとなる。遊戯施設がだんだんと寂れていく時間の流れはあくまで人間のものであり、宇宙空間のような巨視的な尺度が持ち出されると、そんな時間の流れなど一瞬のことでしかなくなる。またたくまに、「楽園」にあるあらゆる物には錆が浮き、さびれた屋上が顕現する。

そして、「錆は銀河の水の滴り」と言い切られると、単なる経年劣化の象徴にすぎない錆が妙に詩的に感じられる。「銀河」の語から、満点の星空の下、人気の無い夜の屋上を想起する。そこでは、屋上と銀河との間に境界は存在しない。銀河から滴り落ちる水気が存在し、それは一定の時間をかけて静かに錆として定着しているのみだ。

その光景はさみしく、美しい。

星祭その喧騒より抜け落ちて裸子植物のごとき寂しさ/小林幹也『裸子植物』

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