わたしたち夏から冬がすぐ来ても曇天を今日の服で飾って

柳原恵津子『水張田の季節』左右社,2023年

十月に入っても暑いなと思っていたら、適温の期間はすぐに終わり、あっという間に寒くなった。近年の体感として、秋はほんの一瞬で過ぎてゆく感じがする。

一首には、そんな季節に対する感慨が滲む。夏から冬への展開は早い。暑いと寒いの間にあるはずの〈ちょうどよい〉はあっという間に通り過ぎてしまう。

一首が着目するのは衣服だ。季節によって左右される存在である衣服。結語に「飾って」とあるように、服には着る人の欲求がいくらか滲む。季節感があって欲求が滲むものには食べ物があるが、衣服は食べ物に比べて自分でコントロールできる範囲が狭い。真冬に苺や筍ご飯を食べることはできても、タンクトップ一枚で闊歩するのは難しい。秋服と呼ばれる衣服が活躍できる時間はあまり長くない。

「夏から冬がすぐ来ても」の二句三句はどこか挿入句のように働いている。〈わたしたち曇天を今日の服で飾って〉としても文は成立するが、「夏から冬がすぐ来ても」が挿入されることで季節感と季節に対する微妙な屈託が滲む。

提示されている天気は曇天だ。秋の終わりかけの曇天、気温は高くないし、テンションも上がらない。それでも、「今日の服で飾って」その曇天の一日を切り抜ける。一首の主語は〈我〉のような主体の一人称ではなく、「わたしたち」が選ばれている。それは、読者が呼びかけられているようにも感じられるし、主体が自分自身に言い聞かせているようにも感じられる。そうやって、生活を続けていくしかないかと言うように。

冬までの距離はもう短い。街ゆくひとはもうコートを羽織り、マフラーをしていたりする。主体が何を着て「今日」を過ごしたのかはわからないけど、過ぎてゆく季節への抵抗がいくらかあったのではないだろうか。そんなことを、一首を読みながら想像したりする。

しんと冷えこのまま磁器になりそうな十月尽のみどりのトマト/柳原恵津子『水張田の季節』

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