咳こみて口にあてたる掌が不意に他人の匂いを放つ

前田康子『おかえり、いってらっしゃい』現代短歌社,2022年

他人がいる場所で咳込み、反射的に口に手を当てる。そうすると、その手から自分のものではない匂いがした。不思議な瞬間が捉えられているが、奇妙な納得感がある。

一首には細かな時間の経過が内包されている。①咳込む、②掌を口にあてる、③掌から他人の匂いがすることに気がつく、という時間が一首の中で流れているのだけど、①から②への流れはとてもスムーズで日常的な実感と差異が無く言語表現上でも穏当であるように思うが、②から③への流れへは少し不思議な手触りがある。
まず「不意に」の挿入によって、口に手をあてた瞬間に「匂い」に気がついたのではなく、ほんの一瞬の時間差があったような印象を受ける。そのタイムラグは一瞬ではあるが、奇妙な実感を主体に残す。一首においては、「不意に」匂いに気がついたではなく、「不意に」「匂いを放つ」という表現が選ばれていて、口に手をあてた瞬間には感じなかった「匂い」が、ほんの一瞬ののちに感じられたことへの感情の揺れを感じる。おそらく少し前から、掌からはその匂いがしていたのだろうが、気がついた瞬間に不意に匂いを放ったとしか思えなかったのだろう。それが、「他人の匂い」であるならその驚きはより一層強い。

手のひらは外界と触れる尖兵のようなところがあるので、何らかの匂いが付着することはよくある。草のような匂い、香水のような匂い、煙草のような匂い、揚げ物のような匂いとさまざまなものが思い浮かぶ。
一首は匂いを具体的に描くのではなく、「他人の匂い」としてやや抽象度を上げて提示される。「他人の匂い」という表現によって主体の違和感は読者に強く伝わり、同時に、その抽象度ゆえに「不意に」「放つ」という表現とも衝突しない。優れた語の斡旋だと思う。手のひらの他人の匂いを嗅いだ後は、手自体が自分のもではないような、そもそも今の自分が自分ではないような、不思議な気配を残す。咳き込んだ時点で世界線が変わっていたかのような、奇妙な気配だ。

一首で主体が感じた違和感は、本来であればすぐに霧散してしまう類のものだろう。半日もすると、そんなことがあったことすら忘れてしまう。だが、こうして一首の歌に残されることで、奇妙な出来事として刻印されるのだ。

その刻印は時に経験した出来事よりも強い印象を残す。そんなことをこの一首を読むと思う。

新しいばんそうこうに貼り変えた身体は雪を踏み会いに行く/前田康子『キンノエノコロ』

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