木の家に石の男と棲みつきて秋冷の夜の豆を煮てゐる

小畑 庸子『木の扉』(不識書院  1991年)

 不思議なテイストの歌である。「木の家」はわかる。「石の男」はどんな男だろう。強そうな男だろうか? それとも冷たい男? 頑固な男?

 「石」と「男」を思い切って「の」で繋いだことで、ばっさりと削ぎ落とされたものがある。一方で膨らんできたものがある。「の」の底力を思う。

 

 「木」と「石」  とてもシンプルな組み合わせだ。根源的な二つのものと言っていい。また、例えば、日本を木の文化、西洋を石の文化と言うように、対比的なものでもある。

 そのようにシンボリックでありながら、手触りも残っているもの。それは、昔話や童話の質感に近い。歌自体の舞台も、中世ヨーロッパや、日本昔話の世界のようにも思える。

 

 「棲みつ」くというのがまた、物語めいている。来し方は知らず、どこからかふと流れてきたようではないか。

 そして、「石の男」は夫なのだろうか。それはわからない。ただ、「石の男と棲みつ」くというところには、近代的な制度以前の、より本能的で簡素な二人の結びつきが感じ取れる。

 

 その家で何をするかと言えば、豆を煮ている。「秋冷の夜」は豆を煮るのにふさわしい。暗くなるのが早く、夜が長いからだ。ことことと小さな火で時間をかけて炊いていく。その周りにはほの明るさとぬくもりがじんわりと広がっている。そう、火だ。ガスコンロやIHの調理器などでではなく。炎が見えてくるのだ。「木」や「石」の他にも、「火」や「水」という根源的な要素が、この歌には隠れている。

 さらに「豆」も根源的なものだ。命のパワーが詰まっている。

 

 何ということのない労働。地味で静かな営み。「男」にしても、にこにこと優しく接してくれるようなタイプではない。

 だが。これはこれで。

 幸せと言えなくはない、ひとつのかたちであろうか。

 

 

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