待ち合わす人のうしろで芯となるステンドグラスに光るむらさき

歌川 功『若冲のとり』(青磁社  2009年)

 

 待ち合わせの場所として、いくつか有名なところがある。渋谷のハチ公前や、東京駅の銀の鈴。名古屋では、ナナちゃんという大きな人形を目印としたことがある。

 

 さて、こちらの歌の作者が東北の方ということもあり、待ち合わせ=ステンドグラスと言った時に、すぐに仙台駅のそれをイメージした。もちろん、他の駅はもとより、様々なところにステンドグラスはある。教会、美術館、昔の学校や、レトロな旅館。海外の聖堂を、歌の舞台として思い描いても素敵だ。そうなると、その場所の静謐さが際立ってくるようだ。そしてその場所で待ち合わせることの意味が大きく膨らんでくる。何か特別で大切な、「逢い」である気がしてくるのだ。

 

 仙台駅のものとして読めば、人々のさざめきが聞こえてくる。決してうるさいものではなく、広い空間にさわさわと溶けていくような、たくさんの人の気配のようなものが。巨大なステンドグラスは、駅二階のコンコースの壁面に設置されていて、いつもその前に誰かを待っているたくさんの人がいる。期待や不安や、緊張や懐旧の情や……、本当に一人一人が様々な思いを抱いて誰かを待っていよう。

 

 この歌の見どころは、ステンドグラスの中の一色、「むらさき」が、「人のうしろで芯になる」というところである。

 ステンドグラスは、照明の当たり具合や、天気、そして自分の見る角度によってその彩りを変えるが、この時、その加減の変化により、むらさきの色ガラスがかちりと光り、揺らがない「芯」になったように見えたのだ。

 

 と同時に、待ち合わせてる人たちというのは、いわば、目的の人にまだ会えていない未然の状態にあるのだが、その不安定さがここできりっとしまったような感じもする。人一人の様子を切り取ってみても、待ち合わせるたくさんの人たち全体を見ても、流動体に一本しっかりとした何かが通り、それも含め、刹那、一枚の絵が完成したような、そんなふうにも感じられてくる。

 

 「むらさき」という色もいい。上品な色、神秘的な色。光を通せばなおさら、神々しく美しい。

 

 今日はクリスマス。冬休みに入った学生も多いことであるし、街は混んでいるだろう。ステンドグラスの前で待ち合わせている人たちも、たくさんいるだろう。

 

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