卵もて食卓を打つ朝の音ひそやかに我はわがいのち継ぐ

高野公彦『淡青』(雁書館、1982)

高野公彦の第二歌集より。実際は畳の上にちゃぶ台の部屋、そこであわただしくかきこむ卵かけご飯だったかもしれないけれど、私はこの歌に、大きな窓から燦燦と日の降り注ぐ日曜の朝の、洋室の食卓のイメージをあてがってみたくなる。自分だけが自分の命を抱いている、その事実をみずから祝福する、『淡青』のページを繰りながら、私は初めこの歌にそういう印象を受けたのだった。これは「昭和五十年」という最初の章に収められた一首であるが、おなじ章から、もうすこし引いてみよう。

君逝きしよはひの我はけふを来てぬかづきにけり音なき墓に
今朝一つあさがほ咲くと醒めぎはの夢にひびきて妻の呼ぶ声
堅固なる高層ビルに歩み入る我のいのちよ風呂敷さげて
エレベーターひらく即ち足もとにしづかに光る廊下来てをり

三首目で主体が持っているのが「風呂敷」であるあたりをみると、掲出歌はやはり、畳にちゃぶ台、だったかとも思うのだが、そこにビルやエレベーターが掛け合わされて、今まさに旧来の生活様式から都会的なあたらしい世界に踏み込んでいくかのような雰囲気がある。気になるのは一首目だが、「君」とは昭和四十五年に三十四歳で亡くなった小野茂樹のこと。高野は第一歌集『汽水の光』(角川書店、1976)中の「死のほとり」等の連作で、小野の死を特に取り上げ、悼んでいた。いや、実のところ『汽水の光』という歌集で語り手は、小野のそれに限らず幾人もの若者の死に直面し、そのことをずっと黙考し続けている。自分だけが妻を持ち、子をなしながら人生を順調に歩んでしまう不気味さ、それが第一歌集のテーマのひとつだった。

生きるとは生き残ること 炉の裡にむくろ焼く火のとどろく聞けば
「死のほとり」『汽水の光』

「生きるとは生き残ること」という一種のスローガンが、第二歌集では「我はわがいのち継ぐ」に塗り替えられる。しかし、どうだろう、この主人公は「我はわがいのち継ぐ」と単純に自分だけのいのちを抱えて歩むことはできそうにない。掲出歌の卵を割るという行為は、いっけんすがすがしい朝の食卓を描くようでありながら、若い命の犠牲の上に自身が生きるということを語るようにもみえる。「風呂敷」の歌では、いのちに対する主体の思念が大きくなりすぎて、もはやいのちが〈我〉になりかわって街を歩き始める。「我のいのち」が提げた風呂敷に、おそらくは若く死んだ人々の、喪われたはずの「いのち」が入っているのではないか。(「我のいのち」が〈我〉を置いて室内に進んでいくかのようなこの歌は、初回で紹介した小野の「日のほてり残りしドアを制服のわが肩は越ゆわれに先だち」と対比してもおもしろいと思う)

「我はわがいのち継ぐ」というあたらしいスローガンは、つまり心の底から湧き上がるような生命への祝福などでは決してない。気分のすっかり晴れることなど望むべくもなく、それでも「わがいのち」という小さな火を守りながら、エレベーターが迎えに来れば乗り込んで新しい階へと昇らねばならない、そう自分に言い聞かせるためのスローガンだったのだと思う。こんな三十代半ばの日々の重い足取りは、たしかに私にもあった。なんだかそんな気がしてきたのだった。

*『汽水の光』の引用は『現代短歌全集』16巻(筑摩書房、2002)によった。

 

あと二回ほど(来週と再来週)、火曜日に高野さんの歌を取り上げることにします。

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