簡単に土下座できるといふ君の鶏冠のごとき髪を撫でたし

小佐野彈『メタリック』(短歌研究社、2018

歌集と同題の全七十首ほどにおよぶ大連作のなかの一首。歌舞伎町が舞台で、この歌ではおそらくはホストクラブのようなところで遊んでいるのだが、連作のなかで〈君〉とよばれている相手(ホスト)が、不意に土下座の話などをし始める。この一見なにげない歌、どうもまんなかの「君の」のあたりにワープポイントが仕組まれてあるらしい。前半のホストクラブの騒がしさから、「君の」をさかいに後半では急に主人公と〈君〉のふたりっきりの音のない空間へとワープしている。そこはつまり「たし」という、文法用語でいうところの〈希望〉の仮想空間である。この場所で〈君〉は主体に向かって「鶏冠」を突き出し、主体の方は〈君〉の体を抱えるようにしてその髪を撫でている。そのときの〈君〉の姿勢は「土下座」なのか、どうか。

同じ連作からいくつか引いてみよう。

亜麻色の髪つんつんと逆立ててぬるい夜風に君が刃向かふ
君にとつて波濤が立てば立つほどにうつくしくある社会なる海
獣肉を男同士で喰ふことの罪/そののちのあひみての罪
脱色をくりかへされてその髪はきしきし砂の鳴き声をうむ
ああこれは噓だらうなと思へども歌舞伎町とはかういふところ

〈君〉の髪はこの一首目においては「亜麻色の」と表現され、別の歌では「脱色をくりかへされて」と、しょっちゅう髪の色を変えているようでもあるし、同じ連作の中でも不思議と変化する。主体はちらちらとその髪を盗み見ているし、四首目ではすでに自分の指のあいだに漉き込むように触っているのではないかと思う。掲出歌の赤という色や鶏冠つまりトサカのようという喩えには、〈君〉のすぐに土下座をするけど好戦的な、下手くそな生き方を象徴させるための、いくぶんの誇張が混じっているのだと思う。にわとりはたしかに、いつも地面をつつきながら、ろくに前も見ないで頭からつっこむように歩き続ける。〈君〉も同じように、必要性も、損得もろくに考えないまま、形勢が悪くなればすぐに土下座をすることが習い性になっているのか。しかし、そんなことを簡単に打ち明けられるほどに〈君〉は主体に信頼をおいているように見えるし、すくなくとも土下座しなければならない相手とはみなしていない。

が、主体の方は、そのワープした先の静かな空間で、土下座をさせてみたいという加虐的な気分を実はほんのりと抱いているのではないかと思う。「かういうところ」である歌舞伎町のホストクラブから静寂の空間へワープしたとき、ホストとその客という関係は、ただの〈男同士〉であれたらというあわい願望に切り替わる。しかしそこでおこなわれるのは、〈君〉にとっては面倒な関係からつかのま逃げるための常套手段である土下座だというのが、そしてそのように主体が想定しているのだというのが、なんともせつない。

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