焼け原のはてに かすかに浮かびゐし、幽鬼のごとき 富士を忘れず

 『美しく愛しき日本』岡野弘彦

 「わが二十の桜」という章に置かれた一首。「幽鬼のごとき 富士」という言葉に強い衝撃を受けてより、わたしの中で消えることのない一首となった。「富士」は「桜」とともに、むろん日本の象徴である。「わが二十の桜」の一連には、「昭和二十年四月十日深夜、軍用列車で移動中のわが部隊は再度の東京大空襲により、巣鴨と大塚の間に於て全車輛を焼かれたり。」という言葉が付され、焼け原を片付ける任務の中で見た悲惨な友の骸と桜が歌われている。それらの歌と並んでこの「富士」の歌がある。

「幽鬼のごとき 富士」とは、いうまでもなく「幽鬼のごとき」日本の姿である。岡野の眼はそれをまざまざと見た。その時の悲痛な「富士」の姿が、歌集名の「美しく愛しき日本」という言葉の源にあることは確かだろう。二〇一二年刊行。

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