ほろほろと桜散れども玉葱はむつつりとしてもの言はずけり

『浴身』岡本かの子

 大正十四年刊行の『浴身』の中に、「桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命(いのち)をかけてわが眺めたり」からはじまる「桜」一三八首の大作があることはよく知られている。

一週間で歌い切ったというその一連には、感覚と肉体とがないまぜになったかの子の生気がみずみずしく、ときには生々しく充ちている。その一連の中ほどにあるこの歌は、桜の歌としては変わった構図であるが、それゆえにわたしの心に残ったのである。「ほろほろ」の「桜」と「むつつり」の「玉葱」が無造作に並べられている。それが面白いともいえるが、意味はあまり判然としない。しかし、「いのち一ぱいに咲く」桜を「生命をかけて」眺めるというかの子を思い起こせば、ここにはもう一つの桜の景色が見えてくるようだ。

桜の散った後の景色はどうなるのか。そのとき目にしたのが「玉葱」という日常的な暮らしの景物であったのだろう。官能の桜から日常の玉葱へ。「むつつりともの言はずけり」とかすかな落胆をにじませた言葉の余韻を、心にくいものとして味わうのである。

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