かざし来し傘を畳みて今われはここより桜花の領界に入る

『桜花の領』稲葉京子

言葉の張りつめた美しい歌である。かざしてきた「傘」を畳んで「桜花の領界」に入るのだという。傘を畳むということが一つの儀式のようにも見える。そうして華やかさと陰翳を潜ませた桜花の時空に身を入れる姿には、たんなる抒情をこえた意志的な表情が見える。

『桜花の領』は一九八四年、稲葉の五十一歳の時の出版だが、ここに多くの桜が歌われている。「幾そたびふり仰ぎしかひとひらが散りそめてよりわれの桜ぞ」とも歌われている桜は、もはや景色というより作者の分身のようだ。「散りそめてよりわれの桜ぞ」と言い切っているのは、散る「ひとひら」の寂寥を共有するという思いだろうか。「幾そたび」、「散りそめて」など時間を輻湊させながら、孤独や寂寥を華やかさとともに歌うのである。

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