岩崎嘉寿子『春の交叉点』(2009年)
山葵はアブラナ科の多年草。
畑で育てる場合もあるが、ふつうは綺麗な水をゆっくりと流す山葵田でつくり、1年半くらいかけて根を太らせたものが出荷される。
アブラナ科は古くは十字花科と呼ばれたが、山葵も晩春から初夏にかけて小さな白い十字花たくさんをつける。
実際には3月頃から咲く場合もあるようだが、俳句では山葵は春季、山葵の花は夏季に扱われている。
一輪車が日本の小学生に普及したのはいつ頃のことだろう。
少なくとも、平成元年からは小学校の体育科の指導書にも載っているそうだ。
いまは、どこの小学生も上手に乗っているが、みんなはじめは乗れなかったのだ。
つめたい湧水、それも山葵田をつくることができるくらいゆたかな水は、あたりの空気まできよらかにしてくれる。
清水匂える、というのはそんな空気の感じをさしているのか。
或いは、古語にある、美しく染まる、という意味で、山葵の葉の緑を映している様をいっているのかも知れない。
少女の一輪車のきらきらした車輪の向こうに、水面のかえすひかり、山葵田の緑が透ける。
歌集には「陽をあつめ咲き静もれる桜ばな言葉はいつか覚えるよレイナ」という歌もある。
外国人かハーフの少女だろう。
比喩や暗示ではなく実景の歌だが、さわやかな光景のなかに、生きてゆく少女のあやうさとつよさが、くっきりと切り取られている。