大写しされし鯨は赤道をひとつとびして飛沫(しぶき)をあげる

外塚喬『山鳩』(2015年、柊書房)

テレビの動物番組であろうか。最近、そのような番組のファンが多いと聞く。家に居てはまず見ることができない珍しい動物の生態が茶の間に居て見られるとは有り難いことだ。それにしても、野生動物の生態を撮影するスタッフの苦労は如何ばかりかと思う。シナリオのない撮影だから、野外にテントを張り、カメラをカモフラージュして、何日も待ち続け、結局、撮影できないこともあるだろう。番組の中で撮影の苦労話や、野生動物撮影のために特別に工夫した機材の紹介などの話があると見る方としては楽しい。

そのような番組で鯨が海面に大きくジャンプしている映像を見ることがある。鯨が飛び上がる理由としては、寄生虫を落としているとか、水飛沫の音を利用して仲間とコミュニケーションをしているとか、餌を集めているとか、諸説があるようだが、正確な事はまだ分かっていないようだ。しかし、どのような理由にせよ、そのダイナミックな映像は見るものの心をとりこにする。

歌集「あとがき」によれば、作者は歌集制作時に71歳になり、その間に母を亡くされた。退職後は結社の運営の専念し、また、短歌に関わる旅行も多かったようだが、そのような多忙な生活の中でふっと自分の人生を考えることがあるのであろう。在職中の仕事と短歌の両立のこと、現在の結社運営のこと(それには文学的なことのみならず、金銭的な面をあろう)、歌人であった父のこと、最近亡くなられた母のこと等々、いろいろなことを思うに違いない。掲出歌は、そんなことを思いながらたまたま見たテレビの映像だったかも知れない。

何もない大海原の上にダイナミックに跳び上がる巨大な鯨、空中で体を一ひねりして、その巨体はそのまま海面に落下する。その瞬間、海面は 凄まじい轟音と水飛沫に覆われる。しかもそれは赤道の上なのである。北半球の側で跳び上がり、体を捻る際に僅かにずれて赤道を超えて、南半球側に落下するという。「赤道をひとつとび」というところに壮大さを感じる。画面はそれを鮮明な映像で大写しする。それを見ている作者の気持ちはどのようであろうか。感動、慰藉、憧憬、どの言葉も当てはまり、どの言葉も当てはまらないようにも思える。

憩ふとはこころの憩ひかたはらに樹が立ちてゐるひかりふふみて

緋目高も黒の目高も水草にしんとかくれて冬をしづもる

夢なりとわかつてゐるもラスコーリニコフのような孤独を愛す