そうやって誰もがいなくなる夜をコップの底のように過ごした

小林朗人「京大短歌」20号(2014)

 

20号という数字に改めて驚き、歳月の過ぎる早さを思った。京大生だけでなく京都や大阪の大学生、OBなども出詠し文章を書き184頁の分厚い一冊となっている。気になった作品を紹介したい。

小林朗人の一首は「最後のわたしたち」という15首の連作から引いた。「別れ」をイメージさせる一連だがこの一首の下句の比喩にひかれた。具体的な場面はくっきりと浮かんでこないが、空になったガラスのコップの底のようなものを思い浮かべる。大学を卒業し、一人ずつ自分の周りから去っていく人たち。置かれているコップの底は、その寂しさに静かに耐えているイメージだろうか。

 

サイダーを飲み干したあと容れ物にしばらく残る音を聞いてる        村川真菜

 

「オルガンを抱く」より。ちょっとした場面なのだが、よく伝わってくる。サイダーを飲んだ後残った少しの泡がぱちぱちという音を立てる時がある。そのかすかな音に作者は耳を傾けていて繊細な感覚がある。

 

おおむねは色豊かなる広告で宙に垂れたり我より揺れず           廣野翔一

 

「Truman」より。ただごと歌的な面白さがある。作者は電車に乗って社内広告を見ている。電車が揺れるたびに自分も広告も揺れるが広告の方が揺れが少ないと気付く。比較するという発想がまず面白い。

 

少しずつ読み進めていく返信の「俺」が「僕」へと変わる瞬間        駒井早貴

 

「未完成」より。少し長い相手の返信を読んでいるうちに「俺」が「僕」に変わる瞬間があった。そこに相手の気持ちの細かな変化を感じている。また、そこに作者を揺さぶる重要な瞬間があったのだろう。

 

ぼくにはぼくがまだ足りなくてターミナル駅に色とりどりの電飾      阿波野巧也

ゆるせないことが多くおおくあるわたしを苔の露が見ている         榊原尚子

 

「cube」と「海鳴りの語尾」より。自分の存在の揺らぎのようなものがこの二首にある。阿波野の上の句は口語でさらっと表しているが、とりとめのないアイデンティティの揺らぎがあり切なさを感じた。下句の電飾の輝きがさらに足りない自分を強調させる。榊原の下の句には美しさがあるが、つぶつぶと多くの露が上の句のような自分を見ているとしたら怖さや強迫的なものさえ感じる。