魚村 晋太郎


体臭のなき男かなと思いしが夢にはかなくよみがえりたり

道浦母都子『ゆうすげ』(1987年)

嗅覚は、ほかの感覚にくらべて原始的な感覚であるという。
じっさいに、他の感覚の刺激は視床という部分を経由して大脳に至るのにたいして、匂いの刺激は直接大脳に達するらしい。
そのことと関係があるのかどうかわからないけれど、匂いの感覚は言葉で再現するのがむずかしいと思う。
あかるい色とか、澄んだ音色とかいうような抽象的な表現が匂いに関してはとぼしくて、林檎のような匂いとか、ものの焦げたような匂いとか、具体物と結びつけた表現になる。
それだけ、対象につよくむすびついた感覚といえるのかも知れない。

最近は、体臭を消すためのスプレーなどがひろく使われるようになったが、好きな女性の匂いは、汗の匂いまでいとしい、と思う。
女性の場合はどうなのか。こういうことについてはなかなか本音を訊くことができない。
もちろん個人差だってあるだろう。

逢っているときは体臭のない男だと思っていた。
それが、物足りなかったのか、好ましかったのか。
どちらかというと、物足りなかったんじゃないかという感じが、一首からはする。
でも相手が夢に出てきたとき、ああこの男の匂いだ、とたしかに感じるものがあった。
その瞬間、男の全存在を抱きしめたように思えたが、それは夢のなかのことだった。

まいにち逢っている相手にたいしては、こんなふうに意識することはすくないだろう。
ふだん逢えない相手、あるいは、逢えなくなった相手だから、こんなふうに感じるのだ。
そんなにも相手をもとめていることが、自分自身あらためて感じられてはかないのである。