前田康子


ねこじやらし穂のふはふはを手握(たにぎ)ればぬくし秋陽を溜めたる穂先

宮 英子『青銀色』(2012)

 

ねこじゃらし(エノコログサ)が好きだ。いつものバス停の周りには空き地がいくつもあり、夏からどんどんねこじゃらしが生えていて海の波のようにそよいでいる。そんなねこじゃらしに触れて秋を感じている歌。「穂に」でなく「穂のふはふはを」と、触感が旧仮名遣いで楽しく表されている。秋の冷えた空気のなかに陽射しはまだあたたかく穂にはその温さがある。

 

声あげて近寄りて見つ煉瓦塀のこんな隙間に菫むらさき

こがねむし瑠璃の(かぶと)のきらきらし(しころ)はづして暫し貸したまへ

 

このような歌もある。一首目、思わず「まぁ!」といったような声がでたのであろう。塀のせまい隙間から菫が生えて春に紫の花を咲かせた。春になった喜びと、そんな隙間に菫をみつけた二つの喜びがあふれている。二首目は発想が面白い。瑠璃色のコガネムシというのを私も見たことがある。そのメタリックな体を甲にみたてている。(しころ)というのは甲の首を防禦している部分で、「貸したまへ」と借りて着てみたくなっている気持ちが面白い。

 

『青銀色』は「あおみづがね」と読む。作者はこの時95歳。夫である宮柊二が亡くなり、26年目となったとあとがきにある。「青銀色」は作者の造語で、旅先のシリアでもとめた壺の色から浮かんだ言葉だと言う。

 

体調がいまひとつににて気持動かず歩かうとせぬ英子土竜(もぐら)

九十歳越えたる孤愁ひとは知らず卒寿と囃す、卒は死なるを

鯛焼きをもらひてぬくき鯛焼きに頬擦りしたりこのしあはせよ

 

どこも悪くない健康な身体と医師に診断されつつも、日々の不調と付き合い生活して行く作者がいる。一首目、自身を「英子土竜」と呼び一日動かずに籠もっている自身を哀れんでいる。気持ちは沈んでいるがユーモアがある。二首目、卒寿は九十歳を祝う言葉であるが、「卒」という字は「終わる」や「死」を意味することもある。九十歳を祝われることや、口々に長生きを誉められることよりも、ただただ胸の裡には孤独の思いがある。三首目の「鯛焼き」の歌では少し明るい作者が見える。素朴な食べ物のあたたかさ、人とのつながり、そういうものが人間を支える一つである事が伝わってくる。