一ノ関 忠人


青みかん剝けば亡き母うら若く寄り添ふごとしよき香りする

馬場あき子『あかゑあをゑ』(2013年)

 

以前取り上げた馬場あき子の『あかゑあをゑ』から、もう一首。この歌集には、老いの意識が影響するのか、母の歌に印象深いものがある。

 

海に散る桜をどこかで見たやうに思へど遠し亡きははの声

若死の母がわたしの身に残ししすこやかな骨八十年経つ

 

このような歌がある。はるかに遠い母の声の記憶。若くして亡くなった母だが、娘は八十歳を越すまでに健康に生きている。丈夫な骨を母が与えてくれた。

今日の一首は、青みかんの香りが母の記憶につながる。青い蜜柑の酸っぱいがさわやかな香りは、まだ幼かった作者にやさしく寄り添う若き母――美しい母恋である。若くして亡くなった母だけに、実際の記憶は貴重であるだろう。

青い蜜柑が母の記憶に結びつくのは、わりあい広く認められるイメージではないだろうか。私にも、似たような記憶がある。秋の運動会の季節は、ちょうど店先に青い蜜柑が並びはじめる時だ。昼に、家族でひろげた弁当のデザートに青蜜柑があった。その年に初めて食べる蜜柑が、この運動会の昼食のまだ酸っぱい蜜柑であった。周囲の友人の家族の弁当からも蜜柑の香りがただよっていた。

歌集には、次のような歌もある。

 

桜鯛桜鱒さくら咲くころの美しき魚らけはしき貌す

風のまにまに咲くよゆれるよ糸ざくらわたしもむかし小町でしたよ

鎮めがたき情熱といふは何ならん柏木のまなじりとけふすれちがふ

 

三首目の「柏木のまなじり」が気になる。『源氏物語』の登場人物、源氏の妻である女三宮に密通、薫の実の父になる。源氏につらくあたられ、罪の意識に病死する。その柏木が源氏を見るまなざしだろう。怖い、怖い。