頭から洗いはじめたるわれを不思議なにんげんという

高瀬一誌 『レセプション』(平成元年)

 誰かといっしょに銭湯か温泉に行ったのだろう。あるいは、妻に「頭から先に身体を洗い始めるなんて、あなたって不思議な人ね」と言われたのかもしれない。微かなユーモアが感じられる歌である。

「頭」には、「あたま」と振り仮名がつけられている。普通は、こういう歌を「字足らず」と呼ぶことになっている。確かに文字面だけを数えると、二十八語音である。でも、これを平仮名で分かち書きにして、無音の拍を〇で書き入れてみると、三十一語音に近くなるではないか。(無音の拍の考え方は、詩人の菅谷規矩夫の『詩的リズム』の発想をかりている。)

あたまから○/

あらいはじめた/るわれを〇(○)

ふしぎなにんげ/ん○という(○○)

二行目の「われを」のあとの無音の拍○を一つで数えると、だいたい三十語音の拍数になる。なお、結句の拍数(○○)は、ここでは括弧にくくってみたが、理論的にはそれを数に入れるのが原則的な考え方だから、そうするともっと語音数の拍は増えることになる。だから、高瀬短歌を字足らずで定型から逸脱しているなどと即断しない方がいいということを、ここでは説明してみたかったのだが、「字足らず」は字足らずだと最後まで嫌う人を私は特に説得するつもりはない。ただ、高瀬の歌は、定型感覚をしっかりと持って作られたものだということを言いたかった。もう一首引く。

カメをぶら下げることはわが放浪のはじまりかもしれぬ

私は子供の頃、大きな亀を盥に入れて売っているのを見たことがある。カメを紐でしばってぶら下げるような事は、昔の悪童なら普通にやっていたことだ。イメージがわかない人は、山本周五郎の『青べか物語』などを読むといい。さもなければ、これは料理の材料のスッポンを買って下げたのかもしれない。もちろん生きていて、噛まれないように縛ってあるのだ。あまり目にしそうもない光景であるが…。

地響きをたてしもの何かはしらねど遠くすぎゆくものぞ    高瀬一誌

佐藤佐太郎などとはまたちがった味わいがあるように思えるのは、なぜだろうか。今すぐには答を出さないことにして、ここでたまたま思い浮かんだ歌を引いてみると、

写すことに依つて理解できる場合とできない場合があると知れるかな

小暮政次『暫紅新集』

という歌がある。「地響きをたてしもの」は一瞬知覚されたものにすぎない。それが何であるかは、小暮に言わせれば「理解できる場合とできない場合がある」。小暮の場合は、「知れるかな」だから、認識者の姿勢である。そこで止めておく、ということだろう。こういう「地響き」のようなものの連続が、われわれの生を構成しているとも言えるが、高瀬は「知れるかな」と書いてやめにしないで、「写すことに依つて理解でき」ないものばかり、好んで作品に取り上げ続けたような気がする。

久しぶりに『レセプション』一冊を読み直してみた感触をもとにして言うと、高瀬の方は、短歌型式という容れ物についてのこだわりが、より強い気がする。それは逆説的な言い方になるが、容れ物がなければ私もいなくなる、というほどに強烈なこだわりである。容れ物を通して空無と向き合う、とでも言おうか。ここで私が言うのは、高瀬の生についての原型的な感じ方のことである。これは、あくまでも私が作品を読みながら直観的にのべているだけのことである。高瀬の在りようというものは、脱力感のあるユーモラスな歌を投げ出しているようでいて、そういう表情を見せながら、本人はいつ崖の向こう側に落っこちてしまうかもしれないような孤独と恐怖とたたかっていた可能性がある。それが結果的に誇らない自恃と余裕を生んでいたのではないか。そこには韜晦の気配もあり、死ぬことも辞さないというニヒリズムを腹のなかに呑んでいるわけだから、なかなかダンディーだった。何となくそういう気配は人に伝わる。それで人気もあった。しかし、同時に短歌型式にすがりついているところもないではないので、そこは弱い。弱いからこそ、短歌型式を強く用いるのは恥ずかしい。それが、あの文体となったような気がする。しかし、同時にそれは、なかなか折れない弱さである。さらに素朴な写生主義や、理念的な戦後派や、前衛短歌と同じことはしたくないというこだわりもあって、そこから自分を遠ざけようとするから、より屈折の度合が深くなって、どんどん人が向かわないところに表現の方向が行くので、余計にわかりにくくなった。でも、私は高瀬のそういう公案集のような歌集がけっこう好きである。