三原由起子『ふるさとは赤』(2013年・本阿弥書店)
東日本大震災から6年過ぎた。もう6年かとも思い、まだ6年かとも思う。テレビでも新聞でも特集が組まれる。報道の視線によって、年を追う毎に、全容は整理され、問題が浮き彫りになる。と同時に、個々の細かい事象は捨象され、見えなくなってゆくものもある。それが自然なのだと思うが、3.11を現在の問題として考えることを忘れたくない。
『ふるさとは赤』の前半には、婚約報告のために帰郷し家族に祝福される歌がある。かけがえのない故郷が描かれる。
父と母、祖母と弟うなずいて「おねがいします」と頭を下げる
ふるさとを凱旋するよう 夕方の商店街を二人歩みぬ
「凱旋」という絶頂気分もいいが、素朴な家族の温もりが嬉しい。帰ればいつでもそこに迎えてくれる家族や友人知人がいる。「ふるさと」は浪江町。作者は3.11以降、それまでの故郷をなくした。
掲出の歌は、呼吸の苦しさのように故郷=浪江があるという。震災とそれに続く原発事故が、身体感覚として刻印されている。次のような歌もある。イジメなどのニュースに接するとき、きわめて今日的な歌だと思われる。
充血の眼をまっすぐにわれに向け除染の仕事を友は語りぬ
「あんなところ行くわけないよ」と嗤われてあんなところで育った私