あたたかき日に氷片のごとき日をはさみて冬のはじめ子は癒ゆ

岡井隆 『αの星』   1985年

雨が続いている。土曜日、岡井隆先生の訃報を知り言葉をうしなった。ちょうどこの歌集を読み直していた。磨き上げられた明るい文語につやがあり、美しい。それにしても、あの瞑想の底から響くような深い肉声を聞きたかった。つやのある口語の歌に生まれかわるゆたかな声を。

歌を読む。

初句から4句にかけてゆったりとしたリズムにのせて、冬に入る日々のうつろいが丁寧に詠み込まれている。ふくらみのある言葉のなだらかな連接の美しさにうっとりしてしまった。結句に「子は癒ゆ」と短く置くことでわが子の回復への安堵感を鮮やかに織り込んでいる。言葉の緩急のつけ方の巧みさにはっとさせられる。わずか4音という簡潔な表現は、その抑制のありようによって父親らしい子どもへの愛情を強く印象づけているように思える。

また全体に平仮名が多く使われて、ものやわらかな情愛がその文体にそのまま反映されているようだ。穏やかな生活詠でありながら、やはり言葉の響きに精彩がある。それは2句目に置かれた「氷片のごとき」の比喩から生まれている気がする。わずかに違和をさしこむことで単なる生活詠におわらず、日常の孕んでいる陰翳を暗喩して奥行きを感じる。

 

昼すぎのあらしはすぎてひとりづつ帰りたる子の並びむところ

 

こちらは、掲出した歌の2首まえに置かれている。この歌は自分の子どもたちの存在を明るく読者のまえに差し出すようなはからいが感じられて楽しい。子どもたちの夕食の景をさりげない言葉で詠みながら、こちらも子たちへの情愛が満ちていて、その眼差しに安息がある。それははじめから用意されたものではなくて「昼すぎのあらしはすぎて」とあるので、なんらかの困難や葛藤を乗り越えてようやく手にした慰藉であること。この「昼すぎのあらしはすぎて」は、このうえなくシンプルで美しい表現でありながら、さまざまな紆余曲折が凝縮されていることに驚く。「ひとりづつ」といった細やかに言葉をつないでゆく流れも、目立たない修辞として子どもたちの存在感を引き立てている。「ところ」という場面の限定には静謐な日常の時間への敬虔な思いが流露しているようだ。

 

三人子みたりごをつぎからつぎへ湯に入れて白鳥のるごとく疲るる

 

多彩な歌風のなかでさまざまに変容するこの作者であるが、ここにあげたような美しい韻律によって詠まれた生活詠もゆたかな領域だろう。こうした調和した諧調の歌にこそこの作者の洗練された言語感覚を見てしまう。あるいは幸福感が美しい韻律を運ぶのであろうか。その美しさは救済のひかりかな。