魂は人にむくろは我に露ながら夏野の夢のなごり碎くる

萩原朔太郎(初出『文庫』第23巻第6号、1903年8月)

 朔太郎の若書きの一首。魂は「たま」と読ませるのだろう。夢そのものばかりか、その名残までもが砕けてしまったあと、人には魂が帰っていく。しかし我に返ってくるのは「むくろ」だけである。夏の野の夢が破れ、砕けてしまった今、わたしはもはや「むくろ」でしかない。若い日の喪失感があらわれた一首、ととってよいのだろうか。

魂、むくろ、露、砕ける……と、あまりにも死のイメージが濃厚な一首で、読んでいて対希死念慮のようなものを感じさせるというのは自分の思いすぎだろうか。夏野の夢というのも、魂が寝ている間にどこか野へと飛んでいったような光景を想像させる。しかし夢は果たされず、目は覚めてしまった。わたしは魂ばかりを喪って、あとは「むくろ」として生きていくばかりでしかない。しょせん露のような人生とはいえ、むくろとなって生き続けるには、あまりに長過ぎはしないだろうか。