檜の香部屋に吹きみち切出しの刃先に夏の雨ひかりたり

高村光太郎 『高村光太郎選集 第2巻』春秋社 1981年

 

この歌が詠まれたのは大正13年10月。『明星』に発表された「工房より」には、近況をしるした短いエッセイと50首ほどの短歌が並記されている。

前年9月の関東大震災のあと高村夫妻は自らのアトリエ兼自宅を被災者のために解放している。そして自分たち夫婦は4畳一間で暮らしたらしい。まずこの行動に驚いてしまう。光太郎のヒューマニズムが、そして生き方が生半可なものでなかったことに圧倒される。

住居が手狭になったことで大きな彫刻制作が出来なくなり、木彫りの蝉や小鳥などの小作品に方向を切り替えている。そのことが、光太郎にまたあらたな光明をあたえることになる。この短歌はそのころの作品。

連作から彫り込んでいるのは近所の子どもたちから分けてもらった油蝉らしい。木彫りの材料は檜。檜はもともと芳香なので、切り屑が増えるたびにその香りが狭い部屋に香り立つ。「吹きみち」としたところに、木をあつかう喜びがあふれている。その高揚感が下句に流れ込んで切出しの刃先にひかりを当てている。しかも、ここでは「夏の雨」のさわやかな輝きが印象的だ。全体に飾らないのびやかな写実の方法で詠まれている。

この一首をとりあげてみても子供のような素朴な感情を、手を加えずに表出している。光太郎の純粋な詩精神に触れるようで楽しい。檜の香、夏の雨、そしてここにいるはずの蝉、詠われている言葉に溌溂とした自然の生気が感じられて爽快である。

光太郎は、もともと明星派の歌人であり、「夏は来ぬ物みな醒めよ恋は成れ起てよ殖えよと轟くちから」(明治37年)というような歌風であった。その光太郎がこの歌のように自然に身をなげこむような歌を詠み出すまでに、どんな精神の変遷があったことか。

「木彫りは短歌のやうな面白味があつて此の上もなく私の心を慰めてくれる」と語っている。木彫りを手掛けることで見えてきた自然との調和。そこからあたらしい美の世界を発見している。光太郎は雨が好きだと言う。『雨にうたるるカテドラル』では力強い「吹きつのるあめかぜ」が登場した。ここでの夏の雨は抱きとるようにやさしくて明るい夏の雨。光太郎の世界の光と翳がほのみえる一首。