かかかんと指で茶筒を鳴らしおり泣きたい俺はどこにいるのか

奥田亡羊『亡羊』(2007年)

 

 

自分がたてる乾いた音が茶筒にする。
一人なのだろう。
その音が胸に響く、というか自分の胸がたてる音みたいだ。

泣きたい。
でも、泣きたいと思っている「俺」はどこにいるのか、と思うほど胸の中が遠い。

 

泣けば心がしずまると思うのに、何かが泣かせてくれない。
わっと一息に泣かせないものは、何なのだろう。

「泣きたい俺」
「泣きたい俺」を見ている「俺」
そんな「俺」をさらに見ている「俺」……

 

意識の層を幾重にも発達させてしまったことだけが、泣けない理由ではないはずだ。でもやはり、現代のひとつの醒めた意識の苦しさを思わないではいられない。

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