大松 達知


寒ゆるぶ日の昏方を停りゐる貨車に靜まりて黑き車輪あり

田谷鋭『乳鏡』(1957)

 

 言葉に力が宿っている作品である。

 日常の言葉をただ定型に流しこんだだけの作品とは違う、文学としての覚悟が見える作品と言ってよい。

 短歌を読む楽しさの一つは、こういう定型の緊張感を感じるところにある。それが現在廃れつつあるのは時代だからというだけでは済まされない。短歌というものの緊張感の消失であるからだ。

 それはともかく。

 ここでは結局、黒い車輪がある、としか言っていない。しかしそこには作者の両眼の奥の底力を感じる。

 視点の狭め方の迫力かもしれない。

 時間の設定(寒さが緩んできたある日の夕方)、場所の設定(駅であろうか)をじりじりと進めてゆく。

 現在、かつてほど鉄道貨物列車の需要が多くない現在とでは、貨車に対する親しみは違うだろう。貨車がもっと身近なところで見えたに違いない。

 リズム面では、第三句が「カシャニシヅマリテ」と8音になっているところの溜めが効いている。

 車輪の黒を指摘したのは、この時代の暗さや自分の生活の中での黒い部分と共鳴したのかもしれない。

 結句は、7.5音くらいの感じだが、重苦しい雰囲気を出していて、貨車全体の重々しささえ感じさせるのである。