大松 達知


炭酸水のどいらいらとくだるとき覚えのなき記憶よみがへる

林和清『木に縁りて魚を求めよ』(1997)

 

 「覚えのなき記憶」とはなんであろうか。

 自分で意識しないうちに、いつのまにか五感が獲得してしまった記憶だろうか。

 それは、自分の知らないところで脳に(あるいは身体)に棲みつき、あるときにゆったりと意識の領域に上ってくるのだ。 

 そういうことがあるのかもしれないし、ないのかもしれない。

 しかし、作者は、当然のことととして受け入れている。

 (デジャヴュと呼ばれるものも、そのひとつだろう。)

 

 その種の「記憶」がよみがえる状況として、炭酸水を飲み込む瞬間はふさわしい。

 「いらいらとくだる」は、何でもない言葉遣いに見えて、的確な把握だ。自分の意識がその苛々にとらわれている隙に、「覚えのなき記憶」がすっと意識の水面に上がってくる。

 

 下句は「覚えのなきキ」「オクよみがへる」と読めば七音七音だが、これは句跨りにしては強引。やはり、九音五音の破調である。

 ただ、その九音が、炭酸水が喉にからみつくように下ってゆく感覚を再現している。読者はうまく切って読めないイライラを追体験することができるのだ。ごくりと唾を飲み込むような感覚であった。