本田一弘『眉月集』(2010年)
子ども時代に虫捕りにつかった網。それがそのままに立てかけられている。
たとえふるさとにであろうと、土蔵というものを身に近くもつ人は、もう少ないだろう。
子どもが大きくなったあとも、玄関の隅などに残されている遊び道具を目にすることはあるが、ここでは「ふるさとの土蔵の壁」が場所にも時間にもしんとした奥ゆきを与えている。ともすると、常套的な情緒の出し方に終わってしまいかねないフレーズが、ここではすっきりと嫌味のない導入となっている。
「かの日」とあるので、あきらかに記憶に残るある日から、捕虫網はそこにある。
どんな日だったのだろう。
いっしょに出かけた友だちとケンカをしたか。
それとも、雷雨にでもあったか。
また、淡い恋の生まれた日であったのかもしれない。
いずれにしても、その日から捕虫網は使われなかった訳で、これは、一つの子ども時代との決別の象徴なのである。
物語を含む一首を、ひえびえとした土蔵の空気が包む。
時間をそこで止めたかのように、ふるさとに立ち続ける一本の捕虫網は、現在〈わたし〉がどこにどうあろうと、その心に一つの支柱となって在るように思える。
・月光の溜息もれて来るやうな夜の草の上に寝ころぶわれは