耳掻きはたぶん黄泉にては不要ならむ生きをるもののためのこの形

佐藤通雅『天心』(1999)

 

 ヒトとサルを区別する要因は「道具を製作し、それを使用すること」である、という考えは古臭いものになっているようだ。

 しかし、人間は他の動物と比べるまでもなく、無数の道具を発明してきた。道具を使うのが人間の特徴である、という言い方は間違っていない。

 

 たしかに、人間はさまざまな目的のためにさまざまな専用の道具を作り出してきた。

 私の手元には、眼鏡のブリッジを締めるためだけのネジまわしとか、紙を効率的にめくるための指用ゴムサックとか、鼻毛を切るためだけの回転式カッターなんかもある。

 しかし、そういうものの中で、この一首に合うのは、一見どうでもよさそうでありながら、実は大きな力を持っている物体である。

 「耳掻き」は絶妙だ。

 毎日使うものではないけれど、だれもが必ずときどきお世話になるもの。見つからないと非常に困るもの(旅先でよくわかる)。

 そういうものをせっせと作りだし、身の回りにコレ大事と侍らせておく人間とは、なんて滑稽で悲しい生き物なのか、という作者の声である。

 どんな歌でも柔軟で懐の深い視点から詠む作者。深い息を吐き出すような自然であたたかい言葉の展開が、この一首にも表れている。

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