一枚の襖にすがるがに立てり母を支ふるいちまいふすま

小池光『山鳩集』(2010年)

 

 

高齢のお母さんをうたう。
すがるものが、襖という、そうたよりにならぬものであることがかなしい。

 

すがるぎごちなさが、二、三句のしらべに(「すがるがに」は句またがりになっており、音韻上、三句頭にくる「が」が目立つ)、そしてすがられて母とともにがたがたと揺れるであろう襖のたよりなさが、下句のひらがなの多い表記から伝わる。一首のバランスをみても、漢字で書かれた、頭の「一枚の襖」を、助詞の「の」もぬかれた「いちまいふすま」は支えきれない風情だ。

上句は母が主体であり、下句は襖が主体の形でうたわれるが、しかし「母」の語自体は、下句に登場することで一首は微妙なつながれ方をする。両者は対置されるのだが、断然、上句が重く下句が空疎で、母の実在の重さをありありと伝えながら、それを支えるものの危うさをうたう。

 

人間が老いて死んでいくこと、特に親のその様を見ることには、特別なものがあろう。だがそのようにして、老いから死への過程を見守ることによって、人間はいちばん自然に、自分の死へ近づいていくはずでもある。もっとも、ここまで寿命ののびた時代にあっては、その自然さもゆがんでこざるを得ないのだろうけれど。

 

襖にすがる命はまことに危ういが、それは「母」の命一つにとどまらない。
見ている人の、今を生きるすべての人の命が、ここにぐらぐらと揺れている。

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