岡本かの子『浴身』(1926)
今、こういうスケールの大きな歌があるだろうか。
いや、こういう歌がストレートに受け入れられるかどうかの方が問題かもしれない。ちょっと気恥づかしいほどだ。
周囲を気にせずに絶唱する力強さが、かの子にあり、またこの時代にあったのだろう。
・桜ばないのち一ぱいに咲(さ)くからに生命(いのち)をかけてわが眺めたり
が有名な岡本かの子。巻頭15首のつづいて、「桜」138首がつづいてゆく歌集。
掲出歌は、歌集後半の「かなしき命」15首より。
ルビはないけれど、「生命」はここでも「いのち」と訓むはず。
オノヅカラナルという字余りが、生命力があふれ出る様子をリズムで体現している。また、イノチのイロとイ音の頭韻を踏みながら、ハナサけり、とア音で一気に花の開く様子さえ音に乗せている。
こういうリズムは考えてできるものでなく、いわゆる舌頭百辺、自然に成り立ったにちがいない。
上句の溌剌といたイメージと対照的に、人間である自分を顧みて、しぼむような口調になる。人間存在を大きく考え、しかし理屈に向かわずに、短詩形のできる範囲唱い切っている。
この前後には、
・おのづから咲ける花かもおのづから人の生くるはかたかるものを
・花のごとく土にし停(た)たばわがいのちおのづからなる色にし咲かむか
がある。
素朴で勁い時代の息を吸い込みたい。