入谷いずみ『海の人形』(2003)
「咲く」というのはどういうことか。
人間以外の動物は、笑わないと言われる。(諸説あるかもしれない。)もちろん、植物は笑わないだろう。
では、動物は「咲く」ことはできるのか。人間は咲けるのか。
そういう理屈を超えたところに詩情はあり、それを言葉として提示するのが詩なのだ。
さて、この歌で、目をつぶったのは、だれか。
解釈は二通りある。
①作中主体(作者といってもいいだろう)が目をつぶると、相手の笑い声が咲いているというように思えた。
②相手がふと目をつぶると、笑い顔が少し変化して、咲いているような表情になった。
どちらも魅力的な場面だが、ここでは、①をとりたいと思う。その方が自然ではないか。
場所はどこだろう。大きな公園やレストランか、列車や駅の中かもしれない。ターミナル駅の天井が高くて広い待合室を想像したりもする。
目を開けていたときは笑っていた相手が、その表情が見えなくなると「咲いている」と思えた。
他の人たちの声の中で聞き分ける相手の存在。
それは、目だけではわからなかった、その相手のもっと深いところに入りえたからではないか。視覚を閉じることによって、他の感覚すべてで相手を察しようとしたから感じられたものだったのだろう。
目を酷使する現代人(とくに歌人)にとって、視覚以外を研ぐのはいいことだと思える。