水原紫苑『びあんか』(1989)
詩を書くとは、言葉で世界を構築する行為である。
ここで作者が蟬の声を聴いて、「呻吟」と断定したことにより、この歌の世界では蟬は常に苦しみを背負ってうめきうなる存在となった。
もちろん、オスがメスを呼ぶために、地上での数日を短い命をかけて鳴き続けているという知識はある。自分の全存在をかけて、自分の子孫を残すことにのみ懸命になっている蟬たち。
その健気な鳴き声と知っているからこそ、なおさらそれが苦しみであろうという詩的推測は説得力を持つ。
この歌では、蟬たちのその命がけの鳴き声に、太陽が揺れたのだとも言う、。それも至極あっさりとした言い方から、すんなりと(マンガのような)映像化がなされてしまうだろう。
しかし、こうした説得力をもって世界を構築するのは簡単ではない。
そして、作者は一気に千年の時間を飛ぶ。
千年前の夕暮れ時にも、今、目にし耳にしているのと同じシーンがあったのだ。
その千年を人も蟬も同じように、生命をつないできた。
頭がクラクラするほどの大きな内容を、たった一首のうちに封じ込めている。そして、理屈を言わず、「逢う」と実感のこもった言葉で結ぶ。
今聞いている蝉の声も千年を行き来するきっかけとなるのかもしれない。