歯ブラシで排水口をひたすらにこする時の目でなにもかもを見る

馬場めぐみ『無数を振り切っていけ』(短歌研究社)

不思議な歌だなと思う。初出は短歌研究新人賞受賞作の「見つけだしたい」のなかにあり、これまでに多く引かれてきた一首である。歌にこちらの心が吸い寄せられるように、わかると鋭く思いながら、やはりまだ何かを掴み損ねているような気もする。「歯ブラシで排水口をひたすらにこする時の目」とは、どのようなまなざしか。「ひたすらに」こすっているのだから、それは真剣な、少しの汚れも残すまいとする抜かりのない目線かもしれない。そう思えば、気迫というのか、どこか強迫的に追い詰められた主体が浮かび、そのような目をもって「なにもかもを見る」のはなんというか、とてつもなく疲弊しそうな気がする。

ちょうど、掲出歌のひとつ前にあるのが〈生きづらいでしょ、って名前の紙風船が潰れるまでは落とさぬように〉であって、まさに「生きづらさ」というレッテルとの闘いがあることを自覚しているようでもある。余さずに見てやろう、という気迫をもってしても、やはりすべてを見尽くすことは難しい。世界にはあまりにさまざまな事象が溢れている。目を背けたくなることばかりがひっきりなしに起き続け、起き続けるさまを見尽くすことは困難だ。見開いた目は乾いて、気づけば身体も心もぼろぼろに疲弊してしまうだろう。世界に対して真摯であろうとする人ほど、文字通り打たれてしまう。それが、いわゆる生きづらさといった言葉であらわされ、生きにくそう、などと勝手に案じられ、時に遠ざけられ、すべて余計なお世話でしかないけれど、見なくてもいいものを見ずにおく、見てみぬふりをすることがほんとうには世界で自分を生きやすくするのかもしれない、わかっていながらできるならきっとすでにそうしている。どうしても見てしまう。

だから、いまひたすらに排水口をこすりながら、ほんとうにはその目はとても虚ろなのだろうと思う。気迫に満ちたまなざしはいつしか追い詰められて疲弊するような気分へとうつり、その目は傍目に何も見ていないようにさえ映るかもしれない。虚ろなままでも、けれど刮目することはできると思う。目を背けずに、何かに抵抗しながらも、虚ろに目を開く。虚ろなままで、「なにもかもを見る」ことはできる。そのひとは弱いままとても強いと思う。

生きやすいひとなどいないのだとして悲しめるかもわからない晩夏

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