棚木 恒寿


木の柵に進入禁止と記さるる言葉の後ろに回つてみたり

 

                      香川ヒサ『The  Blue』 (2012年)

 

 「ここより先進入禁止」の木の柵があったのだろう。「言葉の後ろに回つてみたり」は、やや微妙な表現である。「言葉の後ろ」は木の柵の裏側か(そうならば「柵のうしろ」のほうが適切?)、比喩的に言葉の裏側ということか(ならば「回ってみたり」が物理的な言葉すぎる?)。その両方であるのだろうが、まずは前者の光景を想像したほうが面白い。「進入禁止」というメッセージに従うと、そこより先に行ってはいけないはずなのに、作中主体はあえて柵の後ろに回ってみる。そしてしげしげと、柵の裏側を見つめるのである。なぜここより先が進入禁止になっているのか、その言葉の裏を見ようとして、柵の後ろに回る。言葉の裏と柵の裏はむろん違うが、ここではそれが一瞬同じように捉えられているようだ。ナンセンスといえばナンセンスなのだが、なんとも印象深い行為が捉えられている。

 

岩山の頂に石の城聳えもはや城から逃れられない

 風景を眺めてをれば一本の橋が目に入る人の立つゆゑ

 草原に草食む羊 私に見られなかかつたらゐなかつた羊

 私の見てゐない時羊らはそのものとして在るのだらう

 

 モノや風景の機能や意味の捉え方がどこか独特である。一首目、下の句が「もはや岩山から逃れられない」なら、普通の認識で普通の歌であるが、そこをひっくり返しているところが面白い。岩山と城のどちらが主従になるかは本当は分からないはずだという認識がここにあり、「岩山が城から逃れられない」という認識も正しいのではないかという疑問なのである。そしてそこに甘やかな抒情はない。

 二首目、橋があってその上に立っているひとに気付くのではなく、人が立っていたから橋の存在に気付いたのである。これも通常ではない橋と人の認知の仕方だろう。前者だと橋の上にぽつりと立つ人間の姿が浮かび上がり、そこに抒情が出て来る余地ができるが、そのような抒情は切断する。三首目は、二首目の同工異曲となり、それを受けたのが四首目だと思う。

 

 倫敦で漱石の見た濃き霧の世界に広がる百年かけて

 「さう旨くは行かないよ」 漱石は子供の問ひにかく答へたり

 朝光が窓に来たりてこの国の言葉しづかに立ち上がりたり

 百年後の評価のやうに雲がゆく超高層ビルの上なる空を

 

 三首目、「ことばしづかに立ち上がりたり」は、朝の到来とともに「この国」の言葉があちらこちらから聞こえてきたということだろうか。この歌は構えることなくむしろ伸びやかだ。四首め、「百年後の評価」のような雲という、比喩が独自である。実はこの歌集は、アイルランドを旅あるいは生活しながら書いたと思われる連作歌集である。アイルランドとイングランドの歴史をたどるうちに、長いスパンの時間の流れが実感される。雲ははかない存在だが、百年後も同じように空を流れており、超高層ビルの私たちを評価しているのかもしれない。

 

草が生ひ蔓が絡まり木が伸びて廃墟を統べる沈黙ありぬ

 攻め寄せる敵押し返す石壁の押し返せない敵でないもの

 二〇〇八年金融バブル崩壊の後も金融街なる金融街(シティー)