心とはそれより細きひかりなり柳がくれに流れにし蛍

                   増田まさ子、合同歌集『恋衣』(1905年)

 蛍のほそい光が柳の方へと流れてゆく。こころとは、そんな蛍の光よりも繊細で細いひかりであるよ。通釈するとそういうことになるだろうか。「物思へば沢の蛍もわが身よりあくがれいずる魂かとぞ見る(和泉式部)」とあるように、古典でも心と蛍の光が対照されることがあるが、ここでは「それより」という比較で語られているところが新しい。比較するために、自分のこころを客観的に眺める視線があり、その繊細さに焦点が当たる。やや幻想的な景のなかに主体の心の静謐な流れがある。

世にそむき人にそむきて今宵また相見て泣きぬまぼろしの神

今はただ歌の子たれと願ふのみうらみじ泣かじおほかたの鞭

 この作者には恋をめぐる煩悶がある。一首目、世にそむき人にもそむくような恋をしてきて、今宵はまた幻の神と見つめ合って泣くのである。「まぼろしの」とある通り、この神はなにかモデルがあるのではなく、まったく作者の内的想像上の神なのであろう。ある種の独断であると思うが、おそらく先行例の参照先のないそういう独断が許されるところに初期「明星」の磁場はある。二首目では、歌の世界に殉ずる主体のことを自ら描く。歌の子となれるならば、どんな鞭にあっても恨まないし泣きまいという決意表明であり、自己激化であろう。

山かげの柴戸をもれししはぶきに朝こぼれたりしら梅の花

おとろへにひとり面痩せ秋すみぬ山の日うすく銀杏(いてふ)ちる門(かど)

 これらの歌は、わりにリアルな風景が見える歌だろうか。柴戸をもれてくるしはぶき(=くしゃみ)に白梅がこぼれるという。人のくしゃみが空気の変化を呼ぶのだろう、それが梅の花を散らしてゆくという見立ては意外にリアルだ。

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