夜の道に敷きたるゑんじゆ花殻の生(なま)しきを踏む靴の裏にて

阿木津英『巌のちから』(2007年)

槐はマメ科の落葉高木。
7月から8月にかけて、枝先の円錐花序に淡黄色の小さな蝶形花をたくさんつける。
近縁の針槐、つまりニセアカシアほど甘い香りはしないが、盛夏に花をつけた木の下は独特の香気につつまれる。
東京の旧山手通りには11キロメートルにおよぶ槐の並木がある。
京大北部キャンパスの北側、御影通りの槐並木も、緑のトンネルのようで美しい。
秋には数珠のようににくびれた莢をたらす。

主人公も槐並木を歩いていたのだろうか。
舗道に敷きつめられた花屑が、闇に仄白く浮かんでみえる。
槐の花は小さいが、大量に降るので、道や地面に散った花屑は夥しい感じがする。
夜になってもおさまらない、じんとした舗道の熱気とかすかな花の香気。
生しき、というのもよくわかる。

歌集の別のところにはこんな歌がある。

  おろかとも言ふといへども選び来し跣(はだし)のあしで踏むよろこびを

こちらの一首は、すこし官能的な感じもあるが、主人公は足の感覚、踏む感覚に敏感なところがある。
地に踏みしめて立っている自負の気持ちと、何かを踏みつけている怖れの感覚。
わざわざ、靴の裏にて、と念を押して言っているところに、自負と怖れの綯い交ぜになった主人公の内面が無意識に反映している気がする。

花殻とは、ただの花屑のことではなく、特に仏に供えた花を捨てるときにいうものだ。
一首は妹の病と死をみつめた連作にある。
作者が50歳の年のことというから、妹もまだ若かった。
夜の道を白く埋める槐の小花。踏んではいけないものを踏むような気持ちで、呆然とその花の上を歩みながら、運命の苛酷と向き合っているのだ。

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