高野公彦『水苑』(2000年)
ねむる鳥その胃の中に溶けてゆく羽蟻もあらむ雷ひかる夜
しら鷺を潟におろして一月の空憩ひをりきらら虚(おほぞら)
雪の夜のコップの中におほぞらのありてかすかに鳥渡りゆく
高野公彦歌集『水苑』は、こうした作品ではじまる。美しいイメージの作品たち。具体の確かさと飛躍の大きさが、けっしてそれとして訴えることなく、穏やかにことばとなっている。
巨鳥(おほとり)のつばさが空をおほふかと思ふまで寒し神戸燃ゆる日
花鋏ひとつ置かれし庭の椅子しづかに息をしてゐる木椅子
蜂の巣に蜜たまるころふうはりと雲のうしろに輝く雲あり
夜の道に行き会ふ無灯自転車は薄氷(うすらひ)のやうな寒さまとへり
父亡くてピアニッシモの遠雷の一、二度ひびく夕雲の奥
高野は、日常を大切にしている。素材は、身近なもの/こと。それらを大切に、一首を組み立てていく。そして、日常が自ずと生み出す痛みや悲しみを静かに静かに掬っていく。繊細でありながら、しかし繊細であることが立っては来ない、そんな掬い方で。だから救われるのだと思う。
人が梯子を持ち去りしのち秋しばし壁に梯子の影のこりをり
初句の7音が、やわらかに読者を導く。初句、二句で人の行為が詠まれ、三句で時間が詠まれ、四句、五句でものの状態が詠まれている。このくっきりした構成が、秋の、おそらくその日のなかの光景を鮮やかに立ち上がらせている。
梯子を持ち去った人はどのような人なのか。それはまったくわからない。あるいは、なぜ持ち去ったのか、どのように持ち去ったのか、といったこともわからない。人が持ち去ったということ以外はすべて捨象されており、ただ、梯子がなくなったことだけが提示されている。そして、「秋」。この「秋」は、文脈に穏やかなつまずき感を与える。5音を2音と3音に分ける効果だけでなく、意味のうえでも別の流れを指示する。しかしそのあと、流れは「しばし壁に梯子の影のこりをり」と緩やかに修復される。巧みな一語だ。
「しばし壁に梯子の影のこりをり」。目の前にあるのは梯子の影。しかし、それはほんの短い時間。秋、梯子がなくなり、その影がすこしの時間残っている。詠まれているのは、それだけ。31音が、それだけのことをゆったりと抱えている。短歌という詩型の豊かさを思う。