麦藁帽似合ふ男になりきしを朝の鏡にふとさみしめり

時田則雄『夢のつづき』(1997年)

俳句には夏帽子、冬帽子という季語がある。
春の季語に、春服、春装、というのがあり、春帽子をその傍題にふくめることもあるようだが、春帽子、秋帽子はふつう歳時記にはない。
麦藁帽は夏の季語である。

芥川龍之介には、麦藁帽をかぶり、煙草をくわえた有名な写真があるが、主人公にとっての麦藁帽はおそらく仕事着の一部だ。
麦藁帽子のひろいつばは、つよい陽射しや、時には雨からわが身をまもってくれる。

何かの似合う男になりたい、というあこがれをもつことがある。
ホテルのバーの似合う男、新宿ゴールデン街の似合う男。
ボルサリーノの似合う男、和装の似合う男。
ニッカーボッカーズの似合う男、とか、白衣の似合う男、とか、仕事着やユニフォームを着てさまになる男、にあこがれることもある。
一方で、どこにいても、何を着ていても、どこかそこからはみだした自分であることへのあこがれを持つことも、男にはある。
それは、自由へのあこがれといってもいい。

北の地で農に生きることは、主人公の誇りである。
いかにも農夫らしくなってきた風貌が、さみしいのではない。
男の顔は履歴書とは大宅壮一の言葉だが、そんなに大層な顔でない場合でも、年をかさねると、自分の顔はつくづく自分の顔だと思うことが多くなる。
けしてやり直しのきかない、交換不能な自らの生、それを引き受ける自負と背中合わせのさみしさを、ふと感じるのである。
朝の鏡、というところがいい。
そしてまた、暑い一日がはじまる。

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