光森裕樹


雨宿りせし駄菓子屋にインベーダーゲーム機ありき あの夏のこと

笹公人『念力姫』(ベストセラーズ:2005年)


 

◆ ゲーム機の世代スイッチ (1)

 

雨宿りをするために飛び込んだ駄菓子屋にゲーム機が置いてあった。誰しもが知るゲーム「スペースインベーダー」の筐体だ。ピコピコと明滅する画面と電子音、そこに加わる雨の音がなんとも郷愁をさそう歌だ。
 

「あの夏のこと」という結句がなんともずるい。誰にだって思い出す風景は異なれど「あの夏」があるはずだが、それを強制的に上書きしてくる力がある。たしかに昔、駄菓子屋が多くあった。ゲーム機も喫茶店や旅館など、どこにでもあった。今とは異なる平台型の筐体が中心で、誰かが遊んでいるのを囲うようにして眺めたものだ。だから、私自身も雨の日に駄菓子屋でインベーダーゲームを――見たのかもしれない。
 

「あの春」「あの夏」「あの秋」「あの冬」と並べたとき、「あの夏」の思い出が最も幼いころの思い出であるような気がするのは私だけだろうか。ともかく、笹公人は「あの夏」を追い求め続けている歌人だと感じている。
 

長嶋有の短編小説「ジャージの一人」(『ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ』『祝福』所収)には、主人公が幼い頃に父親から「インベーダーを一匹やっつければ十点だろ」と聞かれたことを思い出す場面がある。父親の質問は要するに、〈最も点数の低い敵は一点でいいはずなのに、どうして十点なのか〉ということであるが、主人公は大人になった今、それは「ゲタをはかせてもらっていい気持ちにさせてもらってる感じ」だったのだと理解する。少年時代を振り返るにはちょっぴり寂しくも、鋭い答えである。しかし、この「ゲタ」があったからこそ今でも懐かしく、まばゆい少年時代だったとも言えるのではないだろうか。
 

先に「「あの夏のこと」という結句がなんともずるい」と書いたが、この「あの夏のこと」もどこか「ゲタ」のような印象がある。もちろん悪い意味ではなく、この「ゲタ」こそが笹公人の世界に浸るためのひとつのお約束であり、私たちをいつでも過去に連れて行ってくれる秘密であるように思う。
 

さて、今や誰も「ゲタ」など履かせてくれない冷たい時代である。歌に出てくる様々な「ゲーム機」の変遷を、懐かしがりながら追ってみたい――
 
 

(☞次回、2月15日(水)「ゲーム機の世代スイッチ (2)」へと続く)