昔むがす、埒もねえごどあつたづも 昔話となるときよ早来よ

佐藤通雅『昔話(むがすこ)』(2013年)

*昔に「むがす」、埒に「らづ」、昔話に「むがすこ」、早に「はよ」のルビ。

 3年目の3月11日である。あの東北の大地震、そして津波、さらに原子力発電所の大事故、そこから広まる風評害、日本だけではない、広い地域を巻き込んだ自然災害と人為的とも思える事故からの復興は、ようやく緒に就いたところ、いまだ生死が確認できない人があり、仮設住宅に住む人びとが多数いる。そして放射能汚染により故郷へ戻れない人びと……

佐藤通雅の第10歌集にあたる『昔話(むがすこ)』は、一冊すべてが震災にかかわる。佐藤は遠野に生まれ、後に仙台に移り、個人編集誌『路上』を発行し続けてきた。2011年3月11日午後、仙台は激しい揺れに襲われた。

「東日本大震災に遭遇した夜から、多作になった。ライフライン全てを失って、低体温症すれすれの日々を送りながら、『このいまを、ことばにしておかなければ』という衝動を覚え、」(『昔話』覚書)歌をつくり続けた。そして時が過ぎる。「この間、被災地にいるものとして、心に去来する問題はあまりにも多かった。しかし、世間から忘れ去られようとするころから、本当のたたかいがはじまるという思いが、はじめからあった。現にそのとおりになり、瓦礫が消えていくころから、多くの人の心身は病みはじめた。私も例外ではない。歌に力があるとしたら、ここからのことだろう」(同)という思いのもとに編集されたのが、この歌集である。

「『昔話』覚書」には、歌集名にもなるこの一首の解説がある。佐藤の故郷遠野は、『遠野物語』で知られ、それだけでなく多くの昔話が伝わる。「3・11の日、夜を徹してラジオに耳を傾けながら、あまりの惨状に胸がつぶれた。とんでもないことが起きたのだ、全てが浄化されて昔話として語られる日はいつのことだろう、一〇〇〇年先のことだろうか、その日に早くなってほしいという祈りを」この歌に託したのだという。

「埒(らづ)もねえごど」は、初案は「とんでもねえごど」だったという自注も記されているが、震災の日から起こった埒もない、とんでもないことが、この歌集には歌い留められている。

この街を逃れゆかむとバスを待つ長蛇の列にも雪容赦なし

夕映えは美しすぎる稜線のひとつどころを朱の色匂ふ

小窓よりのぞけば死者は眠りをりかなふならわれも安らぎたきを

身体がギスギスガクガクしてならず廃棄寸前のロボットのやうで

裏山へなぜ逃げなかつた 問ふて問ふて問ふてすべなきことをまた問ふ

こともなくただこともなく日をかさぬこれ以上どうにもならぬことゆゑ

 

きりがないからこのあたりにとどめるが、忘れてはならぬ光景がまたその時々の心中が歌われている。昔話に語られる日が一日でも早くなることを祈るばかりである。