原発が安全ならば都会地になぜ作らぬとわれら言ひたき

佐藤祐禎『青白き光』(2004年)

福島県双葉郡大熊町に農業を営んだ佐藤祐禎さんの歌である。大熊町は東京電力福島第一原子力発電所の所在地であることは、今更言うまでもあるまい。東北大震災によりそのうちの四基が被災、甚大な事故に発展、3年を経たいまも収束の目途が立ったとは思えない。原子力発電所から半径30K圏内一斉退避の状況は今も変わりない。大熊町に住んでいた佐藤さんも、「家族は皆バラバラ」(『青白き光』「再版」によせて)、いわき市に避難したと言う。

『青白き光』は、震災以前に刊行された歌集である。佐藤さんは徹底的に原発反対を主張している。「ここに生まれ、ここに生を終えなければならない運命の人達の、真率な不安と怖れと無力感とを、私は声に出してそれを歌に詠んで来た。(略)原発の歌だけは私の心の叫びのつもりである」と「あとがき」に述べる。

 

放射能は見えねば逃げても無駄だとぞ避難訓練に老言ひ放つ

原発に勤むる一人また逝きぬ病名今度も不明なるまま

炉心溶融の新聞記事を惧れつつ原子炉六基持つ町に住む

いつ爆ぜむ青白き光を深く秘め原子炉六基の白亜列なる

 

「反原発」の歌々である。この不安が、歌集刊行の後に現実のものとなる。「世界中のどこかで必ず事故は起こると確信してはいたが、かく言う私の地元になろうとは、夢にも思っていなかったのは不覚だった」(「再版によせて」)と言うとおりだ。原発事故の「予言書」とも呼ぶべき『青白き光』は、事故後文庫版(いりの舎文庫)として再刊、私はそれを読んでいる。

今日の一首は、歌集の前のほうに収められている。この思いは、長く持ち続けていた不満であったろう。国も東電も安全、安全と言う。研究者にしてもそうだ。それほど安全だと言うならば都心に原子力発電所を建てればいいではないか。もっともな主張である。

これは都市部に住む私たちへの痛烈な批判であろう。原発が再稼働されそうになるこの現実において、ますます問われるべき主張だ。再稼働は事故に結びつかないのか。原発を今すぐゼロにという主張を、どこかで現実感がないもののように思うのだが、実際に事故を起こした場所に住むことを思えば、原発は危険きわまりないものとしか考えられない。

佐藤祐禎さんは、事故の収束をみることなく昨年3月12日に亡くなられた。82歳であった。