筆圧を等分にして書かれたる君の手紙は白を深めつつ

田中雅子『青いコスモス』(2014)

 

50歳で亡くなった作者の遺歌集である。懐かしいような感じがこの歌にするのは、手紙よりもメールでやりとりすることが多い時代になっているからかもしれない。作者はもらった手紙を何度も見ているのだろう。相手の筆圧までもがだんだん見えて来る。筆圧が等分になっているということは手紙を書いた人は安定した気持ちで淡々と文章を綴ったのだろう。作者はそれをどう受け止めたのだろうか。この相手は片思いの相手であったから、そのような冷静さが作者は寂しかったのかもしれない。一瞬でもいいから心が乱れるような場面があってほしいと思ったのかもしれない。下句ではその文字によって白い便箋がさらに白さを増し、手紙は完結された相手の気持ちをそのままそこに留めているような寂しさがある。

 

ほんとうの恋をしたから夏蒲団陽に当てるだけの日常でいい

君居らぬ恋の外側見つめたる二年はやがて二十年となる

会いたい人のいる秋の日が自転車のサドルの高さに夕暮れてゆく

 

作者は若くに父を亡くし、母や一卵性双生児の姉とともに生きることに精一杯だった。そのなかで出会った恋は上手くいかなかったが、それでも歩いていく道の先を照らす灯りのようなものだった。一首目は全力で恋をしたことに対する満たされた気持ちが素直に詠まれている。また二首目では、一人のひとを思い続けてふと気づけば二十年が経っていた。三首目は巻末近くにある歌。会いたい人への気持ちを持ちながら見つめている夕暮れ。「自転車のサドルの高さに」という表現が魅力的だ。

 

骨かぞうほどの孤独にゆきあたる帰り着くべき椅子も消えたり

狂うとは眼が動かぬこと卵ひとつつぶさぬように握りていたる

 

また、歌集の中で、作者の孤独や精神的な不安も繰り返し詠まれている。一首目は死への予感もあるような上句で、下句には居場所さえもなくした哀しみがある。二首目は恐いような一首で迫力がる。狂ってしまいそうなぎりぎりの危うい感覚が下句の卵の存在にそのまま表われている。