薄れゆく記憶のひとつ 雨の日は算盤の玉が重かつたこと

大崎瀬都『メロンパン』(2014)

 

子供の頃に算盤教室に通っていたことを思い出しながら読んだ。木の算盤は雨の日は湿気を吸って動きが悪い。計算もすばやく出来ず気持ちだけが焦ってしまう。すべりを良くする為には蝋を塗るといいと教えてもらったことがある。

そんな些細なことをこの作者は記憶の中から拾い出してきた。忘れてしまってもよさそうなことだけれどなつかしい気持ちにさせてくれる記憶だ。

 

内翅をしまひきれないまま進むテントウムシに柑橘の風

夫が言へばそんな気がする玉子かけごはんは実は気持ち悪いと

棄てられぬものを入れおく缶は棺ふたするたびに別れを告げる

騒音でこの世の音を消し尽すパチンコ店にしばし憩へり

 

小さな発見、ちょっとしたこだわり、気持ちの動きなどを作者は捕まえてくるのがうまい。

一首目のテントウムシもよくわかる。外側の羽はきっちりと閉じているのに中の薄い翅がはみ出したまま歩いている不器用なテントウムシがよくいる。結句で爽やかな一首になった。二首目もなるほどと思う。我が家では納豆をごはんに混ぜるのが気持ち悪いと誰かが言い出し、ごはんと別々に納豆を食べている。

三首目では音が同じ「缶」と「棺」を生かして詠まれている。不要だけれど棄てられないものを入れておく缶。それはだんだん(ひつぎ)のように見えて来て寂しい。三首目では、パチンコ店の騒音が実はこの世の音を消すためのものだという。しばしこの世のことは忘れてパチンコ店に憩う作者がいる。

 

小さなことに目をやり、あちこちに寄り道をしながら進む作者が、この歌集に見える。一見無駄なようなそんな時間が大切で、人生を豊かにさせていることを感じさせる。