川田一路『NEXT 0NE』(2013)
*監督に「ディレクター」のルビ。
「結句」という言葉が出て来て、初めてこの一首が短歌を作る過程を詠んでいるのだとわかった。歌を作っている場面ともとれるし、観賞している場面ともとれる。結句に雨を降らせるか、晴れた空を入れるかで一首が大きく変わってくる。
「監督」は歌を詠んでいる作者、そして歌は小さな映画の1シーンのようなものかもしれない。歌作りが楽しくなる一首である。しかしいつもこんな風に一首を作ることができるとは限らない。四句目までがさっとできても結句で迷うことが多い。長い時間をかけて結句の表現を探している時がある。
映画監督の希望かなわずCMのディレクターとして我が半生は
しめりたる土にスモッグの霧流しセットは昼に真夜中をつくる
『NEXT 0NE』にはこのような歌があり、かつて作者は映画監督を目指していたことがわかる。
作者は30年間、CMやテレビ番組のプランナー、ディレクターを勤めたという。「スモッグ」の歌などは特殊な場面で、現場の様子がリアルに見えて来る一首だ。
遠きより風のまにまに鐘聞こゆ春の夕べは時間が重い
魚から邪魔な内臓えぐるごと折込広告を抜けばうすき朝刊
夕暮れて電車ごっこの電車にも終点はあり子らは去りゆく
そのような作者の経歴を頭におきながら作品を読むと、どれもひとつの物語のシーンのように見えて来る。一首目、京都に暮らす作者が聞いているのは古い寺々の鐘であろう。春のなまあたたかい夜の感じを「時間が重い」と表している。また二首目は、新聞にたくさん挟み込まれた広告を抜く時の感覚の比喩が斬新である。三首目は子供の遊びの寂しい感じがよく出ている。「終点はあり」と遊びにも終わりの時間が来てしまい、子供たちが仕方なく帰る様子が感じられる。
この歌集の『NEXT 0NE』はチャップリンの名言から取られているが、短歌を作り続けることにも同じことが言える気がする。「最高傑作は次回詠む一首」だと。