一ノ関 忠人


みほとけ の うつらまなこ に いにしへ の やまとくにばら かすみて ある らし

会津八一『鹿鳴集』(1940年)

 

会津八一の仏像の歌を、もう一首。とういうか奈良の仏像を、もう一首。

春日大社を南へ抜けて馬酔木の森を過ぎ、高畑の集落の寺と民家の長い塀を左右に、狭い道が通っている。時に築地の長塀などもある落ち着いた小路で、私の好きな道の一つだ。その道を抜けると、そのすぐ右手が新薬師寺である。どこかしら古びたこの小さなお寺には、魅力的な仏像が多数祀られている。

もっとも著名なのが、金堂、といっても、元の豪奢な堂は燃えて、会津八一は、「わづかに残存せる一棟」「食堂(ジキダウ)」などであろうと推測する(『自註鹿鳴集』)小堂宇に、本尊の薬師如来をぐるりと囲んだ十二体の像である。十二神将と呼ばれる古い様式を持った宮毘羅(クビラ)、伐折羅(バサラ)、迷企羅(メキラ)、安底羅(アンチラ)、頞儞羅(アニラ)、珊底羅(サンチラ)、因達羅(インダラ)、波夷羅(ハイラ)、摩虎羅(マユラ)、真達羅(シンダラ)、招杜羅(ショウトラ)、毘羯羅(ビカラ)の各像が、それぞれ独自の表情とポーズで迫ってくる。うす暗い堂内のこの十二の武神像は、ほんとうに迫力がある。

この十二神像で知られる新薬師寺だが、もう一体、重要な仏像があった。

香薬師(こうやくし)と呼ばれるその仏像は、八一の註によれば、「奈良時代前期と思しき形式を、その製作の細部に有する小像にて、傑作の名声高かりし」仏像だと言う。しかし、この香薬師、今はない。明治時代に二度、その後「昭和十八年(1943)第三回目の盗難に罹りたるままにて、遂に再び世に出で来らず。惜みても余りあり。」と八一は述べる。

新薬師寺の門を出て南東方向を見わたすと、大和国原が広くひらけている。八一は、香薬師の「うつらまなこ」=「これこの像の最も著しき特色なり」、に古代の大和国原を望見させたのである。

 

御仏のうつら眼に古の大和国原霞みてあるなり

 

漢字を宛てれば、こんなところか。やはり、ひらがな書きの茫洋とした感じとは違う。

 

ちかづきて あふぎ みれども みほとけ の みそなはす とも あらぬ さびしさ

 

続けて香薬師を詠んだ歌だ。香薬師は、「高さ二尺四寸の立像」だから、70数㎝、ほんとうに小ぶりな美像であったらしい。私がはじめて訪れたときには、たしか写真が飾ってあったが、いまはレプリカが置いてあるらしい。本物の香薬師がふたたび出てくる日があるのだろうか、ぜひ実物にまみえてみたい。そんな日が必ず来ることを願っている。盗人よ、自分だけのものにしないで、ひそかにでいい、元の場所に返してほしい。