頭ぶつけ胃はおどるとも砂漠ゆくバスはうしろがいちばん落ちつく

 『月と水差し』和田沙都子(2014)

 

この歌集は作者の第一歌集である。海外への旅の歌が多くある。読者としては自分の行ったことのない場所だとなかなかイメージをつかみにくい時があるが、冒頭のような歌に出会うと、読んでいる方も楽しくバスに揺られている気分になる。「頭ぶつけ胃はおどるとも」という上の句から相当の激しい揺れを感じる。そして作者はその揺れを感じつつも一番うしろの席に座り広い砂漠を見渡すのを好んでいるのだ。

 

ペトラ遺跡五万歩あるきし青い靴砂塵もろともわが宝もの

 

旅先は、中国やシリア、カンボジア、インドなどである。観光だけしているような旅ではない。地を歩き、肌で空気を感じているような作品が多くある。このペトラ遺跡はヨルダンにある遺跡。ラクダを借りてまわることもできるようだが作者は歩いてまわったのだ。自分の足でしっかりと歩いて見た時間と喜びが青い靴と砂塵に残されている。

 

カメムシはなぜ椿象(カメムシ)か生き生きと不思議の国のアリスなら答へる

初めてのネットオークションで競りあひしアフリカの太鼓いまし届きつ

踊るやうな大きなわが文字もどり来し賀状に逢ひてしばしたぢろぐ

母豚がくさめをすれば乳を吸ふ十二匹同時にころがり落つる

 

このような発想の面白い歌もたくさんある。一首目の疑問にまずなるほどと思う。下句ではさらに展開しアリスなら、そんな不思議な疑問にも答えるという。上下の取り合わせが意外で印象的だ。二首目はアフリカの太鼓を買った歌。それもネットオークションで競り落としたという。楽器店にはない特別なものだったのかもしれないが、何かとてもドキドキとして読んだ。

三首目は返送されてきた年賀状に、あらためて、自分の書いた文字を見て驚いている作者。「踊るような大きな文字」にはとても勢いのある文字が浮かぶ。それに自ら驚いている作者が可笑しい。四首目もわかりやすい一首だが、可愛らしく楽しい瞬間を捉えている。

あとがきを読むと作者は、幼い頃は病気がちな日々を送っていたという。四十歳を過ぎて初めて旅に行きまた、本格的に笛を吹きCDも出している。旅の歌には「笛」が人と人を結びつける場面も出て来る。ぐいぐいと作者の人生に引っ張られていくようなエネルギッシュな一冊であった。