顔あげて川と気づけり明るさは思はぬ方よりきてしづかなり

今野寿美『さくらのゆゑ』(2014)

 

作者の第十歌集である。こんな静かな一首を選んでみた。乗り物か何かに乗っているのだろうか。作者は俯いていたのだ。どこからか光が見えて川に近づいてきたことに気づいた。思ってもみない所から光が見え、静かな輝きの中に心が満たされてゆく。でもどこか、寂しさも感じられる一首である。「かなしみは明るさゆゑにきたりけり一本の樹の翳らひにけり」という前登志夫の歌も思い出す。

 

体温をのがさぬために脚一本身にもぐらする鳥の眠りは

眠たさの午後のひかりにああ今も笛吹きながら帰る子がゐる

丹沢の杉の林に十枚の羽のほかには遺さぬ死あり

子のズボンの裾のほつれをかがりゐる静かな時間がまだわれにある

 

一首目、私も鴨がそのようにして眠るのを見たことがある。番の鳥だったが、夕暮れ、庭園の池から上がり二羽とも一本足で眠っていた。鴨に限らず鳥にはそのような習性の種類が多くいるようだ。そしてその理由はこの歌の通り体温調節のためにしているという。この一首で謎が解けたようで嬉しい。

二首目は、学校から縦笛を吹きながら帰っていく子供を詠んでいる。昔と変わらぬ風景に懐かしさとゆったりとした時間の流れを感じる。

三首目は実際に見ている場面であろうか。丹沢の豊かな林の中に死んでいく鳥。その鳥は羽を十枚遺しただけだった。すぐに他の動物が来てきれいに骸を食べてしまったのだろうか。豊かで厳しい自然のサイクルを感じる。

四首目は息子を詠んだ一首。もう家からは自立した息子だが、衣服を修繕をしたりといった、母親としての役目はまだ作者に残されている。その時間をゆっくりと慈しむように針仕事をしている作者が見えて来る。

 

かなしみがややせりだして啄木の百年たつても不滅の(ひたひ)

『拾遺集』に蒟蒻の歌ありと言へど誰も驚きくれずして秋

 

こういったブッキッシュな味わいのある歌も多くある。一首目は啄木のあの有名な顏写真を思い出す。「不滅の額」というところ、なるほどと思う。そこにかなしみが集まっているようである。没後百年に詠まれた歌。

二首目、作者は『拾遺集』のなかに蒟蒻を詠んだ歌を見つけた。それがとても自分としては驚きだったが、周りの反応は薄かった。おかしみのある歌だ。私は少し興味を持った。「蒟蒻」の歌を探してみようと思う。