しびれ蔦河に流して鰐を狩る女らの上に月食の月

前田透『漂流の季節』(1953)

 

前田透は歌人・前田夕暮の長男で『漂流の季節』は昭和28年、39歳の時に出版された。夕暮の死後の2年後のことであった。透は24歳で兵役に招集され、台湾、マニラ、チモールなど8年にわたり兵務をつとめ、帰還したのは昭和21年の5月で、日本ではすでに病死したと伝えられていたという。のちに妻となった竹中雪子はその間も待ち続け帰還後すぐに結婚をする。

冒頭の一首を含む93首は「島の記憶」というタイトルで主計中尉(会計官)として赴任したポルトガル領及びオランダ領チモール島での出来事を復員後に回想して詠んだもの。この一首を読むと戦争からはほど遠いおとぎ話のワンシーンを見ているようである。米軍がガダルカナルからサイパン、硫黄島、沖縄へと飛び石伝いに戦線を展開したため、チモールは置き去りにされ、苛烈な戦場になることがなかったという。透は会計官をしながら宣撫班として原住民との友好関係にもつとめたという。

「しびれ蔦」という植物を河に流して鰐をつかまえようとしている現地の女達。その上に月蝕の月が見えている。空も地も不思議な光景のなかにありつつ、その光景は大きな戦争が起こっている真っ只中のことである。このような状況をどんな風に透は受け止めていたのだろうか。

 

宮柊二が苦しみ居れる環境を葉書にて()らす墨かれしまま

その日その日区切りて生きる生活の窓よりとほくチモール島見ゆ

 

復員後は結婚し、会社員として働き、長女も生まれる。戦後の貧困生活のなか思い出されるのは南国での日々であり、それは宮柊二のように武器を持って戦った記憶とはあまりに違い、稀有な戦争体験として作者の中に位置づけられていく。ただただ孤独であり、多くの人と戦時の記憶を共有できない苦しみともなったのではないか。帰還後は一日一日家族を養って暮らすのが精一杯の日々で、記憶の向こうに過ごしたチモールでの日々が鮮やかな絵の様に時折見えてくるのだろう。

 

抗ひて大河が海に注ぐさま丘に見てをり日の昏るるまで

 

抗いがたい歴史の流れに押されて翻弄される一人の人間の存在を感じる。抗っても抗っても海に流れていくしかない大河を作者は自身のことのようにみつめている。